「草野仁」私はこうしてNHKをやめました

 

フリーアナウンサーの草野仁が、12月16日放送の『おぎやはぎの愛車遍歴』(BS日テレ)に出演し、NHKアナウンサーからフリーへ転向するきっかけについて語っていた。

 

いまでこそ司会者の代名詞のような存在の草野だが、もともとは記者志望でNHKの入社試験を受けたという。

 

草野は

「採用通知を開けてみてびっくり、『アナウンサーとして採用』。間違いだろうと思って電話をかけたら、『間違いない。アナウンサーとして採用した。もし嫌だったらやめてもらうよ』って」

と語る。

 

草野にとって、半ば強制的にスタートしたアナウンサー業。

最初の配属先はNHK鹿児島放送局だった。

 

草野は当時を、

「やる以上は、アナウンサーの仕事とは一体何をやるのか……客観的にじーっと見て。アナウンサーとして、いちばん一生懸命できることは何かと考えたとき、『スポーツ放送だけは、アナウンサーが取材して表現するから、自分で好きなことができる』と。

スポーツが大好きでしたので、スポーツアナウンサーとして東京へ帰ることを目指そうと作戦を立てた」

と振り返る。

 

草野は33歳で、念願の東京アナウンス室に異動。

40歳で、NHKロサンゼルスオリンピック特番の総合司会を務めた。

草野は大役を果たしたことを気にしてなかったというが、同業者からは「あなたはNHKで、もうこれ以上の仕事は何もないよ」と指摘された。

 

言葉通りになってしまったのか、草野は翌年41歳でNHKを退職する。

 



「どの局もそうなんですけど、報道局というのが一番多くの人数と権力とお金を持っています。ところがアナウンス室というのは、どの局も小さなグループでしかない。力関係でいうとすごく弱小で」

 

草野によると、報道番組を作るにあたって、アナウンサーはあくまでサブの存在。

メインキャスターは報道局の記者が務めることになっており、重要な決定権はすべて報道局にあったそう。

 

草野は報道局に対して「こんなアナウンサーもいますがどうですか」と勧めてみたり、「アナウンサーも同じ土俵にあげて競争させてみてはどうですか?」などと意見していたという。

 

そんな草野に、退職を決意させる決定的な出来事が起きる。

 

「ある日、NHKアナウンス部のトップの人が、『報道局長といろいろ話をしましたが、今後我々は報道局の指示通りにすべてやっていくことにしました』と言ったんです。それは白旗を上げて、何も努力しないってことなのねと。もうこんなところにいてもしょうがないなと。それで辞めようと」

 

草野は、フリーになった次の年、TBSの朝の情報番組の司会に抜擢。

すぐ後に担当し始めた『世界ふしぎ発見!』(TBS系)は30年以上も続く長寿番組になっている。

 

番組では「よく考えると、すごく危ない橋を渡った」と当時を語った草野。

いまの結果を見れば、フリーになって間違いはなかっただろう。

 

各部署が意見を出し合い切磋琢磨していく企業でなければ成長はありませんね。

私の意見ですが、NHKにバラエティーは必要ありません、報道局がそんなに力を持っているんであれば24時間ニュースチャンネルでいいじゃないですか。

NHKで「ラブホ特集」やっても誰も観ませんから・・・

 

 

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