東京五輪マラソンエースに!大迫、瀬古氏「日本記録更新は時間の問題」

 

2020年東京五輪のマラソン代表選考会「グランドチャンピオンシップ(GC)」の出場権が懸かる大会の一つ、福岡国際マラソン(3日=福岡市・平和台陸上競技場発着)で、大迫傑(26)=ナイキ・オレゴンプロジェクト=が日本歴代5位の2時間7分19秒で日本勢最高の3位に入り、GC出場権を獲得した。

 

「予定通り。自分のやってきたことが間違いなかったと証明できた」

3000メートルと5000メートルの日本記録保持者。

マラソンに転向し、4月のボストンマラソンで2時間10分28秒で3位に入ったが、国内初マラソンでそのタイムを3分以上短縮してみせた。

 

2015年に進化を求め妻、娘を伴い渡米。

オレゴン州を拠点とするオレゴンプロジェクトでプロランナーとして活動している。

低迷する日本マラソン界の光明となる走りに、瀬古利彦・日本陸連マラソン強化戦略プロジェクトリーダーは

「日本記録更新は時間の問題。100メートルの桐生のように日本人選手の目標になってほしい」

閉塞状況をぶち破れるのはやはり、日本の常識を超えた人材ということか。

 

 

「タフなレースでした」

レース後、大迫傑(すぐる/ナイキ・オレゴンプロジェクト)は開口一番、そう言った。

国内外から実力ある好選手が集まったレースは、途中で有力選手が脱落していくなか、大迫が粘りの走りを見せた。

30km以降、勝負どころでペースが上がり、スティーブン・キプロティク(ウガンダ)との2位争いは熾烈を極めた。

また、前日までは気温が8度前後とかなり冷え込んだが、この日は14度まで上がり、走っている選手にとって日差しは相当な暑さだった。

しかし、それでも大迫の走りは最後まで崩れることはなかった。

 

レース中、大迫が唯一不安そうな表情を見せたのは、11.1km地点での給水だった。

スペシャルドリンクを取り損ねたのだ。

ボストンマラソンではそれぞれの給水で区切りをつけて走るようにして、それがうまくいった。

今回もその練習をしてきたのだが、この1回だけミスをした。

ただ、困ったような顔をしたのは一瞬だけで、以降もその影響などまったく感じさせず、ストライドの大きなフォームで跳ねるように快走が続いた。

 

レース中、ペースの上げ下げや位置取りなど他選手との駆け引きが行なわれるが、大迫はそうした外的な要因に影響されない。

常に自分の体に問いかけ、自分の走りに集中し、マイペースを貫く。それが大迫のレースのやり方だ。

29km地点で5人になった時も他選手を意識することはなく、「結果的に5人になったのか」と捉えていた。

30kmを過ぎてペースメーカーが離れ、竹ノ内が遅れて4人の勝負になってからもマイペースは変わらない。ひたすら前を見て、自分の走りだけに集中していた。

途中、​モーエンとカロキが前に出て、3位の単独走になっても時計の針のように正確に自分のペースを刻み続けた。

 

大迫はランナーのべースとして日本選手権1万mを2連覇、5000mの日本記録を保持するなど、日本のトラックでは他選手に負けないスピードと勝負強さを持っている。

そのスピードを活かしたマラソンが大迫のスタイルだ。

日本のマラソンは地道に距離を踏む練習をこなし、レースを積み重ねていくやり方が一般的だが、最近はトラックでスピードを強化し、そのスピードを長距離にうまく転化していくスタイルをとる選手や大学が増えている。

アメリカのナイキ・オレゴンプロジェクトでトレーニングをしている大迫は、まさにその最先端におり、そのスタイルの成功例でもあるのだ。

 

タイムは2時間7分19秒──。

自己ベストを3分以上更新し、日本歴代5位となる記録。東京五輪代表を決めるMGC(マラソングランドチャンピオンシップ)出場の権利を獲得し、国内では圧倒的な強さを見せつけた。

「今日は100%、自分の力を出せたと思います。(3位だったのは)1番、2番の選手が僕の100%を超えていただけなので、これから”自分の100%”をトレーニングでさらに広げたいなと思います」

 

「マラソンは個人競技」という考えに基づき、そこに他人と争うという概念はなく、常に自分との戦いに勝つという大迫の哲学がある。

 

ボストン3位、福岡国際3位と続けば、次はてっぺんへの期待が膨らむ。

大迫は東京五輪までは、1シーズンごとにひとつのレースに挑んでいくという。

そうして、信頼するコーチの傍らで”100%の枠”をさらに広げていく。

 

楽しみな選手がでてきましたね、瀬古さんのお墨付きです。

 

 

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