“片足のアイドル”が駆け抜けた18年

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2015年6月28日、唯さん(中央)は150人の観客の前で2時間以上のステージを歌いきった。
これが最後のライブとなった。

 

東京・浅草の小さな遊園地「浅草花やしき」。

ここを拠点とする「花やしき少女歌劇団」にかつて、小児がんで右足を失いながらもセンターで歌う少女がいた。

 

少女の名は木村唯さん。

私は2014年秋、初めて彼女の存在を知った。

東京・築地にある国立がん研究センター中央病院の院内学級の取材で、闘病中だった唯さんの歌声を聞いたのだ。

「ママ、産んでくれてありがとう」。

抜群の歌唱力と、歌に込められたメッセージに強く心を揺さぶられた。

 

いつか唯さんのことを書きたいと思いながら果たせずにいた。

15年秋に亡くなったことを知ったのは半年以上たった後。

 

足跡をたどる取材が始まった。

小学3年生で地域アイドルグループの「花やしき少女歌劇団」に入団。歌手で作曲家の故・平尾昌晃さんに歌の才能を見いだされ、3人組ユニットでプロデビューする話も持ち上がった。

その矢先の中学3年の夏、唯さんは右足の痛みに襲われる。診断は小児がんの一種「横紋筋肉腫」。

本人にも病名は告知された。このときすでに「ステージ4」であることは、両親だけに伝えられた。

抗がん剤による激しい吐き気と、ごっそり抜ける髪の毛。

どんなに苦しくても、唯さんは常に歌劇団のことを考えていた。

病室で歌劇団のショーの動画を見て

「笑顔が足りない」

「こんなステージをお客さんに見せるの?」。

「だめ出し」は歌劇団の少女たちを奮い立たせた。

 

経過は思わしくなかった。

「これ以上続けても治せない確率のほうが高い」──最低限の治療にとどめ、残された時間を有意義に過ごしたほうがよいという主治医の提案に、唇を噛んだ。

 

両親は一縷の望みをかけ、国立がん研究センター中央病院にセカンドオピニオンを求めた。

右足の切断。それが残された道だった。

母の雅美さんはネットで義足のファッションモデルの写真を見つけ、唯さんに見せた。

「きれいだね、すごーい。義足に見えないね」。

義足をつければステップくらいのダンスはできるかもしれない、と伝える雅美さんの言葉に、唯さんの心は動いた。

 

「手術しようかな……」

 

13年7月、唯さんは右足の切断手術に踏み切る。

5カ月後、念願だったステージに復帰。



「歌劇団の小さなメンバーが、足がない自分を怖がるかもしれない」

「お客さんが不快に思ったらどうしよう」

そんな心配は杞憂だった。

 

少女たちは再び唯さんと同じ舞台に立てることを喜び、ファンは手作りのうちわを振って迎えた。

唯さんが倒れても支えられるように、大柄なメンバーが周囲で踊るフォーメーションを組んだ。

 

しかし、がんは全身に転移。

15年9月、体調が悪化して入院する。

抗がん剤はもう効かなくなっていた。月末、雅美さんは唯さんを自宅に連れて帰る。

 

肺に水がたまり、呼吸が苦しい状態が続いた。

懸命に文字を打とうとしたが、力を失った手からスマートフォンが何度も滑り落ちた。

脳への転移で片方の目が見えづらくなっていた。

友達からたくさんLINEメッセージが届いていた。

「『既読無視』になると悪いから」。唯さんはLINEを開かないように雅美さんに頼んだ。

連絡が取れなくなった唯さんを、友達みんなが心配していた。

 

亡くなるまでの18日間、家族と親戚、交際していた1歳上の彼氏に囲まれ、在宅医療を受けて過ごした。

 

10月14日早朝、静かに旅立っていった。

 

あれから2年。

唯さんの死は友人たちの進路に影響を与えていた。

 

中学時代、仲のよかった金谷唯香さん(20)は、義足をつけた人のリハビリが学べる大学に進学。

理学療法士を目指す。

 

小中学校の同級生・附柴央織(つけしばひろのり)さん(19)は農業大学に進んだ。

自分には病気を治すのは難しくても、飢えに苦しむ子どもたちのために食品の研究をしたいという。

やりたいことが見つからなかった自分を、唯さんが導いてくれた。

 

最期まで生きる望みを失わなかった少女の生涯は、人々の胸に深く刻まれている。

(朝日新聞記者・芳垣文子)

 

  • ハンパなアイドルより努力してたんだね。
    こんな子がいたこと、彼女が生きてるうちに知りたかったな…。応援してあげたかったな。
  • アイドルとしてどうのこうのより、精神力の強さに感動
  • 彼氏がいたんなら、アイドルは卒業した方が良かったでしょうね。
    ファンに二重の悲しみを味わせたのかな。
  • 何気無く記事のタイトル見て面白半分に読み始めた自分が恥ずかしい。
    ファンだった方々は彼女のことは是非忘れないでいてください。
  • 全然知らなかった。
    良い記事だけど、生きてるうちに書いてくれれば・・。
    見たかった。歌も聞いてみたかった。残念です。
  • 不覚にも泣けてしまった。今も元気で活動を続けてるってなるのかなと思ったらお亡くなりになっているとは。本当に人生ってわからないよね。生きていることに感謝して日々を大切に過ごして生きたい。
  • アイドルがどーのこーのより素晴らしい生き方が出来た人ではないでしょうか。長生きすればいいってもんじゃない!
  • ここまで来るのに、こらえ切れないツラいこともあっただろうなぁ・・・
    負けてしまう人の方が多いと思う
  • 若干18歳で逝去…まだまだ、やりたいことが沢山あった事だろうね。
    密かにこんなアイドルがいた事を知ってたら、応援してたな…
  • 知らなかった。もっと早く知って応援したかった!
  • つまらない記事より、生きている時に
    知りたかったなぁ。
    応援したくなる生き方をされて
    短い人生を駆け抜けたんですね。
    合掌
  • おじさんも頑張って生きます。
    勇気をありがとう。
  • 人は恵まれていると弱くなるが、彼女は生まれつき不幸だった訳じゃない。
    なのに、周りに感謝し1日も長く生きようとする強さはどこからきたのだろう。
    私なら自暴自棄になると思う。
  • もっとこんな風に懸命に生きた人の事を報道は取り上げてほしい。政治家や芸能人のスキャンダルなど人間の暗部にクローズアップするのも無駄だとは言わないが、やはり世の中をよくしようとか、人間の生き方をより深く考えさせたりそんな報道に力を注ぐこともマスコミの仕事だと思います。
  • 涙がとまりません…
    テレビに出ることはなくとも、メディアに取り上げられることがなくとも、まさに命を賭けて駆け抜けた彼女のご冥福をお祈りいたします。
  • この取材で同級生の死を受け止め、介護業界に進んだ方、農業に進んだ方は、友達の死をしっかり受け止めて考えられたんだと思う。。。感激しました。
  • 彼女が亡くなっておよそ2年。
    ようやく記事として世間に報道出来るようになった、と考えるべきでしょうか?
    彼女のご両親はじめ周囲の方々の、悲しみが少しずつ癒え、思い出として語る事を受け入れられるようになったのだと、お察しします。
    有り難うございました。

それにしても18年は短すぎます。

 

 

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