自宅付近で“待ち伏せ” めぐみさん拉致の真実

 

あの日から40年の月日が流れた。当時、中学1年生だった横田めぐみさんが40年前の15日、北朝鮮に拉致された。

めぐみさんはどのように連れ去られたのか、40年前の真実に迫る。

 

残酷な時の流れ。当時13歳だった横田めぐみさんも今や53歳。

父・滋さんはすっかり年老いてしまった。

14日が85歳の誕生日。つまり40年前の自分の誕生日の翌日、娘を連れ去られたことになる。

めぐみさんの母・横田早紀江さん(81):

「この日のことは何十年経っても思い出したくない。何とも言いようがない、体中が戦慄しているというか…」

それは、いつものような放課後だったはずだ。

当時、一家が住んでいた新潟市。

めぐみさんは、いつものように中学校を出て、いつものように友達と別れ、いつものように丁字路に差し掛かった。

この角を曲がれば自宅という丁字路。

ところが、警察犬を使った捜索では、めぐみさんの足取りはこの丁字路で途絶えた。

北朝鮮側の説明によると、その日、任務を遂行し、帰ろうとしていた工作員がめぐみさんと遭遇。

やむなく連れてきたという。

拉致は計画的ではなく、突発的な行為であった。

 

めぐみさんは40時間もの間、船の荷室に監禁され、北朝鮮に連れて行かれたことが、その後の証言で明らかになった。

助けを求めて泣き叫び、ドアや壁を引っかいた。

結果、めぐみさんの指は血だらけで、爪が剥がれそうになったという。

一筋の光明が差したかに見えたのは2002年。

だが、北朝鮮は拉致を認め、5人を帰国させる一方で、8人の死亡を通告。

めぐみさんも死亡とされたうちの1人だった。

ただし、北朝鮮の情報には矛盾点も多く、それが逆にめぐみさんの生存を裏付けている。そんな想いが2人を支えている。

めぐみさんの母・横田早紀江さん:

「もう長すぎて。年が53歳なんてなったら想像がつかない。家族にとっては『あの、めぐみちゃんだ。よかったね』ということを確認できる間に、ただ1時間でもいいから分かる間に会いたいなと思っております」

 



めぐみさんの両親が川崎市内で記者会見し、母の早紀江さん(81)は

「帰してくださいという思いだけ」

と心境を語った。

 

めぐみさんの帰国がかなわぬまま、家族は年齢を重ねてきた。

早紀江さんは

「(自分たちが)元気な間に、意識がある間に(再会して)めぐみちゃんと言ってあげたい」

と胸の内を明かした。

 

報道陣からめぐみさんへのメッセージを尋ねられると、

「元気で、病気をしないでください。最後まで頑張って助けるから」

と答えた。

 

40年前の出来事は

「思い出したくない。体中が戦慄(せんりつ)し、何が起きたか分からない状況で、暗い印象だ」

と振り返った。

 

めぐみさんの父滋さん(85)も会見したが体調が思わしくなく、早紀江さんが代わりに

「娘を理不尽な状況から助け出さなければという思いは同じ」

「いつも早く会いたいと言っている」

と滋さんの思いを紹介した。

 

めぐみさんは1977年11月15日、新潟市で中学校からの帰宅中に行方不明になった。

97年に北朝鮮による拉致の疑いが浮上。

2002年9月の日朝首脳会談で、北朝鮮は拉致を認め、めぐみさんは「死亡した」と主張した。

 

北朝鮮は04年11月に、めぐみさんの「遺骨」とするものを提出したが、日本政府が実施したDNA型鑑定で別人のものと判明。

めぐみさんは北朝鮮で結婚、出産したとされ、娘のキム・ウンギョンさんの存在が確認された。

 

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