ドラフト1位の元投手が、今だから語る「ドライチの裏工作」

 

清宮幸太郎のプロ入りで、大きな盛り上がりを見せた今年のドラフト会議。

ドラフトでは、他球団を出し抜いて優秀な選手を手に入れるため、ときに熾烈な駆け引き、裏工作が行われることもある。

ドラフト1位選手に連続取材し、『ドライチ ドラフト1位の肖像』を上梓したノンフィクション作家・田崎健太氏が描く、驚くべき往年の秘話とはーー。

 

他球団のスカウトを欺くために

今年のドラフト会議の中心はやはり早稲田実業の清宮幸太郎だった。

7球団が1位指名、抽選で北海道日本ハムファイターズが交渉権を獲得した。

 

自らもドラフト1位――ドライチであった、元ヤクルトスワローズの荒木大輔は清宮について、こう語る。

「素質があるのは間違いない。どんなにピッチャーのレベルが低くてもホームランを百本も打てないですよ」

早稲田実業の先輩にあたる荒木は北海道日本ハムファイターズの二軍監督に就任。今後、清宮を指導することになる。

ドライチ、あるいはドラフト上位で指名される選手は素材として一級である。

ただし、それだけではプロで成功しないと荒木は言う。

「プロに入ったら、彼よりも(実力が)上の人間ばかり。そういう人たちの話を素直に聞き入れるかどうか。聞き流すような子だったら駄目でしょう」

 

プロで成功するか、しないかはドラフト会議の時点では分からない。

ドラフト会議の要諦はいかに能力の高い素材を仕込むか、だ。

目をつけていない〝隠し球〟を仕込む、他球団のスカウトの目につかないように留学させる、あるいは怪我、進学希望という隠れ蓑を使わせる――。

 

こうした策略が最も用いられたのは、80年代。その中心は根本陸夫のいた西武ライオンズだった。

78年、根本はクラウンライター・ライオンズの監督に就任。このシーズンの終了後、国土計画が買収、西武ライオンズとなった。

根本はこの新しいチームの管理部長として石毛宏典、伊東勤、ドラフト外で秋山幸二などを獲得し、黄金時代の礎を築くことになった。

ライオンズ時代の最後の大仕事となったのが、88年のドラフトだった。

 

「プロには行かない」とウソをつく

ある日、前田幸長は、父親からこう言われたという。

――お前は西武から6位指名される。他の球団から指名されないために、大学に行くと言いなさい。

前田はこの年、夏の甲子園で準優勝となった福岡第一の左腕投手だった。

「寝業師と言われていた西武の根本陸夫さんが、人を挟んで、うちの親父とやりとりをしていたらしくて」

81年、プロ入りを拒否、社会人野球の熊谷組入社が内定していた左腕投手がいた。ライオンズはその投手を6位で指名、入団させた。

現在、福岡ダイエーホークスの監督を務める、工藤公康である。

 

工藤と同様の形で根本はライオンズに入れようと考えたのだろう。

しかし、前田は6位ということが気に入らなかった。

「1位じゃないと嫌だというと、今度は2位で行くと言われたんです。ぼくは調子に乗っていましたから、2位でも嫌だと。それで1位で行くと聞かされました」

そして前田は「自分は進学する」「プロには行かない」と口にするようになった。

 

取材にも「気持ちは変わらない」と…

大学進学という体裁を取り繕うため、前田は関西の私立大学のセレクションを受けている。

しかし――。

「ぼくは練習を見るだけのつもりだったんです。行く気はさらさらないですから。カモフラージュです。そうしたら何か知らないんですけれど、ペーパーテストが始まったんです。

全く聞いていなかった。1時間目は英語です。いちおう名前は書きました。やろうという気がなかったわけではないんですが、全く理解できない」

 

前田はわざとむっとした表情を作って試験時間中、腕組みをしたまま坐っていたという。

そして1時間目が終わると、前田は教室を出て、駅に向かった。

「落ちたと思うじゃないですか? そうしたら、もう一回来いという連絡が入ったんです。俺はもういい、行かないと返事しました」

 

そして、前田はドラフトの日を迎えた。

この88年のドラフト会議で複数球団の指名が予想されていたのは、津久見高校の川崎憲次郎だった。その他、大阪桐蔭の今中慎二、社会人ではNTT四国の渡辺智男、プリンスホテルの石井丈裕が上位指名確実と見られていた。

その中には、前田幸長の名前も入っていた。

あるスポーツ番組に出演した報知新聞の記者、中島伯男は、先発陣の左腕が工藤公康のみと手薄な西武が前田を1位指名すると予想している。

 

また、ドラフト前日、地元、西日本スポーツはこう書いている。

「全12球団のスカウトから〝高い評価はしている〟と言われたけど、ついに1位指名するとは約束してくれなかった。つまりぼくは1位指名の人よりも力不足と判断されたわけで、それならば大学に進学した方がいいと考えた」

前田がこの結論を出したのは前日の22日深夜。

父親の助司さん(50)との親子会議で決心したという。(中略)

 

「もし明日どこかの球団が1位指名しても、もう進学を決めた気持ちは変わらない」とも言った。

大学からは、一度セレクション試験をボイコットした同志社から再度の入学勧誘があったほか、法政、明治、中央、東海大など12球団から誘われているという。

進学先は「これから決める」が、「東京六大学は連投させられて故障してしまう可能性が高いので、東都か関西で…」と前田

 


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どうしてロッテなんだ!?

ドラフト会議は11月24日、東京の九段にあるホテルグランドパレスで行われた。

この日、前田はいつものように学校に行き、授業を受けていた。

「教頭先生がぼくのことを呼びに来たんです。当時、ドラフト1位は午前中に決まりました。呼びに来た段階で、1位で指名されたんだなと分かりました」

前田が教頭の後に続いて、階段を下りているとき、新聞記者が耳元で囁いた。

「前田君、ロッテのドラフト1位みたいだけれど」

 

それを聞いた瞬間、何かの間違いだと思ったという。

「ぼくの教室は4階で、記者会見場は1階だったんです。階段を下りながらずっと、おかしい、なんでロッテなんだ、西武は何をやっているんだと考えてました。記者会見場に坐って、質問を受けたのですが、何を喋ったのかも覚えていない。笑顔の一つもなかった。

記者からの質問は、まったく頭に入らず、ずっと西武は何をやっていたんだ、と心の中でつぶやいていましたね」

 

スポーツ紙では、ライオンズの1位指名は、プリンスホテルの石井丈裕となっていた。

石井はプロ入り拒否を表明していたが、プリンスホテルは西武の系列企業である。ライオンズがプロ入り拒否を言い含めて、抱え込んでいることは間違いなかった。

 

ところが、ライオンズが指名したのは、NTT四国の渡辺智男だった。

渡辺もまた、右ヒジ遊離軟骨除去手術を理由にプロ入りを拒否していた。他球団が二の足を踏む中、〝単独指名〟したのだ。

 

ロッテオリオンズは日立製作所の右腕投手、酒井勉を1位指名していた。ところが、オリックスブルーウェーブとの競合、くじ引きとなった。

外れ籤を引き、〝外れ1位〟として前田を指名した。

 

ちなみに西武は2位で、石井を指名。渡辺、石井という好投手を競合なしで手に入れた。

 

恐らく――。

根本はこの2人に加えて、同じくプロ入り拒否を表明し他球団を牽制していた前田を獲るつもりだった。渡辺、石井、そして前田のうち、最後まで誰を一位指名するか悩んでいた。

前出の報知新聞の中山は、その内情を掴んでいたのだろう。

しかし、前田は根本が手配した大学のセレクションを受けず、〝裏工作〟は不首尾に終わっていた。

指名すればプロ入りすると踏んだロッテが、酒井を外した後、前田を1位指名した。

 

でも、これでよかった

ドラフト会議の後、自宅に戻った前田は怒りを爆発させた。

「ぼくはそれまで親父に逆らったことがなかった。でもその日は、どうなっているんだって、バッチバチでした。

親父が西武1位だって言ったから、プロには入らないって言い続けてきたんじゃないかって。親父は何も言えなかった」

 

ライオンズからプリンスホテル入社という提案もあったが、前田は断った。

「いや、もういい。しょうがないからロッテに入る。他、行けないんだから。ロッテに行こうと。それで速攻、話を進めて3日で仮契約ですよ」

 

11月26日、前田はオリオンズ入団を発表した。

ただ、この選択が自分にとって正しかったと後に思うようになった。

 

前田は、オリオンズから中日ドラゴンズ、そして読売ジャイアンツへと移籍している。

「当時のロッテは、ドラフト1位で入っても大きく扱われることはなかった。完封しても、ほんの小さな扱い。もっと大きく書いてくれないかなと思っていました。

中日で注目度は上がったものの、地元のマスコミは比較的優しい。ちょっと打たれても、ボロカスに言うのではなく、次は頑張れよという感じで書いてくれた」

 

しかし、ジャイアンツは全く違っていた。

「ぼくでさえも、いつも(記者やファンから)見られているんじゃないかって、思っていました。打たれると、〝前田、試合ぶちこわし〟と書かれる」

 

そしてこう付け加える。

「ぼくはジャイアンツからプロになっていたら(プロ野球選手として)19年はやっていなかったでしょうね。あそこは怖いチームです」

 

前田が、根本ときちんと顔を合わせたのは一度きりだ。

「ドラゴンズで怪我明けのとき、ファームの試合で(ホークスの二軍が使用していた)雁の巣(球場)に行ったんです。バックネット裏の控室に根本さんがいたんです。うわっ、根本さんやと思いましたよ」

 

根本はライオンズからダイエーホークスに移っていた。

挨拶をしなきゃいけないという関係でもないし、このおっさんに欺されたんやと思いながら離れたところから見てましたよと、前田は笑った。

 

ドラフト会議が今よりも激しく、華やかだった時代の話である――。

 

高校卒業したての若者が「大人の世界」を垣間見た瞬間ですね。

なにせ・・・大金が絡んでいるんです。

 

 

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