金正男暗殺、北朝鮮工作員の手口と謎の愛人

 

今年2月、マレーシア・クアラルンプール国際空港で、北朝鮮の最高指導者、金正恩(キム・ジョンウン)の兄である金正男(キム・ジョンナム)氏が殺害された。

 

2人の女による、まるで映画のような毒殺に世界が衝撃を受け、現地にはマスコミが殺到した。

実行犯の女2人は逮捕されたが、首謀者とみられる工作員たちは北朝鮮へと逃れ、事件の真相は闇に包まれたまま――。

 

暗殺は“いたずら”の延長線上の出来事だった

10月2日、殺害の実行犯・女2人の初公判が開かれた。

ネットアイドルを目指していたというベトナム出身のドアン・ティ・フオン被告29歳。

そしてもう1人、インドネシア出身のシティ・アイシャ被告25歳。今年8歳になる息子を持つシングルマザーだ。

2人とも貧しい農村地帯出身でマレーシアへ出稼ぎに来ていた。


左・アイシャ被告、右・フオン被告

 

女たちは、なぜ犯罪に手を染めていったのか?

「利用された!」

「あいつはうそつきだ!」

取材班が入手した供述調書には、彼女たちの赤裸々な証言がつづられていた。

調書からは、北朝鮮工作員が仕組んだ金正男暗殺までの計画的犯罪の全容が見えてきた。

 

「ナイトクラブで男性に声をかけられた。自分は日本人だと話していた」

日本人を装った北朝鮮工作員が声をかけたのは実行犯の1人、インドネシア出身のアイシャ被告だった。

いたずら動画を撮影し、成功すればその都度、日本円で約1万円の報酬がもらえる。平均月収2万8000円のインドネシアでの生活から考えるとあまりにも「おいしい話」だった。

彼女は家族への仕送りの足しになればと、その誘いに乗ってしまったという。

いたずら動画の撮影という名目で指示されたターゲットの顔に油や、ローションを塗り付ける……。

いわば“暗殺”の予行演習が知らず知らずのうちに始まった。

 

はじめは、恐る恐る“いたずら”を行っていたアイシャ被告だが、回数を重ねるうちに、慣れていく。

いたずらは人通りの多い、駅やショッピングモールで行われ、実際に金正男氏が襲撃された空港では7回も繰り返された。

1カ月が過ぎる頃には、見ず知らずの人間の顔に液体を塗り付けることに、もはや何のためらいもなくなっていった。

 

事件当日、女たちが工作員から受けた指示は、「ターゲットは、上品で太った金持ちの男性、会社で2番目に偉い人」というもので、成功すれば500ドル(約5万6000円)、これまでで最も高い報酬が約束されていた。

 

犯行直前の工作員たちの動きが今回の取材で判明した。

空港内で入念な下調べをした後、女実行犯たちと合流、金正男氏への襲撃の指示を出す様子なども明らかとなった。

女たちの手には、工作員によって謎の液体がつけられる。

そして、彼女たちは、それまで何度も繰り返してきた、“いたずら”を難なくやってのけた。

 

こうして、北朝鮮の、かつては後継者候補ともいわれた金正男氏は殺された。

 

史上最大の兄弟ゲンカ

フジテレビ報道局の藤田水美記者が金正男氏に初めて会ったのは、2007年2月のことだった。

北京国際空港に姿を現した正男氏は、メディアの追跡から逃れるように市内の高級ホテルに入った。

その10分後、ホテルの連絡通路を通って隣接するショッピングモールに現れたところを偶然目撃した記者が追いかけ、単独インタビューに成功、そこから金正男氏と10年にわたる交流が始まった。

 

交わしたメールは3000通以上、面会を重ね、信頼関係を築いてきた。

「時が来たら。公開しても構わない」

そう正男氏が約束した取材メモは報道されることなく月日が過ぎていった。

出会いから10年、事件は起きた。

 


金正男氏に単独取材するフジテレビ藤田水美記者(2009年)

 

金正男氏は記者と会う際も、面会場所の出入り口がどこに、いくつあるのかチェックするほど用心深い性格の持ち主だった。

われわれは正男氏の様子を記録した取材メモと記者とやり取りしたメールを徹底的に精査。

正男氏が、なぜ殺されなければならなかったのか?

10年間の彼の足跡をたどった。

 

「金正恩政権はラストステージに来ている。身内まで処刑してしまうのだから」

「正恩は老練な幹部の中に取り残されてしまったな」

「僕はいつでも周りに目を光らせているよ」

 

2013年、正男氏から記者に送られてきたメッセージには、弟・金正恩氏を激しく批判する言葉がつづられていた。

一方で、金正恩氏から脅されているとも話していた。

「ハングルでびっしりと私の悪口が書かれたファクスが自宅に届いた。よく見ると送信元が金正恩の事務所になっていた……」

 

そして、金正男氏の転落人生が、あの、2001年の成田空港での拘束事件に端を発しているということもわかった。

偽造パスポートで日本への不法入国を図ったところ、入管難民法違反で拘束・収容。その後、外交問題への発展を恐れた日本国政府の判断で国外退去処分となり、中国・北京へと移送された事件だ。

 

金正男氏は記者にこう語っている。

「父(金正日総書記)はカンカンに怒った。そして高英姫(金正恩氏の母)があることないことを言って、自分たちが亡命しようとしていたと、吹き込んだので命が危ないと思い、北京に残ることにした」

 

金正恩氏の母・高英姫氏が日本での拘束事件を利用して、金正男氏の北朝鮮での後継者としての芽を摘み、海外での放浪生活を余儀なくさせたというのだ。

 

金正男氏暗殺の真相解明のカギを握る“愛人S”

取材を進めるとマレーシア警察当局が暗殺事件のカギを握る人物として行方を追っている美女の存在に行きついた。

その美女とは、正男氏の長年の愛人Sだ。

暗殺事件当日、彼女はどこへ?

私たちは、この女性がマカオに潜んでいるとの情報を得て、現地に飛んだ。

きらびやかな電飾が施されたリスボアホテルから橋を渡り、高級住宅街がある。

タイパ島へ……その中に一際高くそびえたつ瀟洒な高層マンション。

すべてを知る女性、愛人Sはそこにいるという。

 

今も金正男氏が生きていたら北朝鮮をめぐる国際情勢は違っていたのだろうか?

10月10日の朝鮮労働党創建記念日に向けて新たなミサイル発射の動きが指摘されている。

金正恩委員長とドナルド・トランプ米大統領の舌戦も過熱の一途をたどり、北朝鮮はますます孤立している。

もし、金正男氏が生きていたなら、北朝鮮と国際社会を結ぶ有力なチャンネルになれただろう。

孤立化への道をつき進む北朝鮮、一筋の希望はもう光を失ってしまっている。

 

歴史に「たられば」はないが、金正男氏が生きていたら、今ほどの緊張状態にはなっていなかったかもしれない。

 

 



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