手紙/岡林信康

2017/12/10

岡林 信康(おかばやし のぶやす、1946年7月22日 - )は、日本のフォークシンガー。

 

彼の父親は新潟県の出身で30歳まで新潟で農業をしていた。

しかし、閉鎖的な村社会が嫌になって故郷を飛び出し滋賀県の紡績工場に就職。

その時期に宣教師のウィリアム・メレル・ヴォーリズに出会い、牧師となるため大阪の神学校に通った後、近江八幡市の田んぼのど真ん中に西洋建築の教会を立てた。

from wikipedia

 

1968年、京都で行われた第3回フォークキャンプに参加し同年9月、山谷に住む日雇い労働者を題材とした「山谷ブルース」でビクターよりレコードデビューします。

翌年までに、「友よ」「手紙」「チューリップのアップリケ」「くそくらえ節」「がいこつの歌」など、名作・問題作を発表。

その内容から、多くの曲が放送禁止となります。

 

プロテスト・フォーク、反戦フォークが若者の間でブームとなり、一世を風靡し「フォークの神様」と言われました。

 

その後、ボブ・ディランに影響を受けたロックを、当時無名だったはっぴいえんどをバックに展開し始めます。

 

「それで自由になったのかい」「私たちの望むものは」「自由への長い旅」などの作品を発表します。

 

1981年にロンドンでキング・クリムゾンのロバート・フリップに

「俺たちの真似じゃない。日本人のロックを聴かせろ。」

と言われたことで、日本民謡的なリズムに乗せた独自のロック「エンヤトット」を思案。

 

平野融らとともに模索を続ける中、韓国の打楽器集団サムルノリと出会い、開眼。

 

2012年、14年ぶりに作詞作曲をした自主制作シングル「さよならひとつ」を発表、2016年にはフリー・ジャズの山下洋輔とも共演しました。

 

 

 

この曲は差別を受けた女性の悲しみを歌ったものです。

この女性は岡林に手紙を出したあと、自殺したとこ事。

「手紙」というよりは「遺書」ですね。

 


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歌詞全文

 

『手紙』 岡林信康 1969年

私の好きな みつるさんは
おじいさんから お店をもらい
二人いっしょに 暮らすんだと
うれしそうに 話してたけど
私といっしょに なるのだったら
お店をゆずらないと 言われたの
お店をゆずらないと 言われたの

私は彼の 幸せのため
身を引こうと 思ってます
二人はいっしょに なれないのなら
死のうとまで 彼は言った
だからすべて 彼にあげたこと
くやんではいない 別れても
くやんではいない 別れても

もしも差別が無かったら
好きな人とお店が持てた
ブラクに生まれたそのことの
何処が悪い何が違 う
くらい手紙になりました
だけど私は書きたかった
だけども私は書きたかった

 

 

私のように東北地方に住んでいると「部落差別」なんて本当にあるの?

というのが実感でした。

 

学生時代、関西出身の友人に聞くとその当時は(40年ほど前)まだ存在しているとの事でしたね。

 

 

昭和30年代、川を隔てた場所にあった被差別部落では、その川の堤防の部落側が一段低くなっていたそうです。

要するに、増水したときには溢れた水はすべて部落内に流れ込むように造られていたのですね。

そんな差別は未だに残っているらしいのです。

 

企業によって身元調査がなされたり、部落地名総鑑というものがあったりするそう。

そして就職差別、結婚差別もあり、最近ではインターネットを使った差別的書き込みもあるとのこと。

本書の初版が2000年なのだが、この時点で同和対策事業未実施の部落が、全国に1000ヶ所も残存しているとの事。

 

悲しい現実なんですね。

 

 

 

 

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