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夏の甲子園 いい話⑥

2017/07/27

2007年夏の甲子園でベスト8入りした楊志館高校(大分)野球部ナインから「あっこ」と呼ばれて慕われたマネジャー大崎耀子(あきこ)さんが、上咽頭(じょういんとう)がんで亡くなりました。

 

あっこは、ともに汗を流したナインに「ありがとう」と書き残して逝きました。

2006年に同高に入学し、練習する選手たちの姿に感動、迷わずマネジャーになります。

 

服の汚れも気にせず洗濯や掃除に励み、練習の合間にはよくキャッチボールをしていました。

 

「とても明るく活発な子だった」と、同級生で2年時から主将を務めた佐藤翔司は振り返ります。

しかし、2007年5月、首に違和感を覚えて受診、翌6月にがんと告知されます。

 

夏の県大会を控えたナインに余計な心配はさせたくないと、「入院中は絶対に選手たちと会わない」と決め、グラウンドに戻る日を信じて5か月に及ぶつらい抗がん剤治療に耐えます。

 

 

そんなあっこの枕元へ、県大会を勝ち続けるナインからウイニングボールすべてが届いた。

 

決勝は会場にいた女性教諭が携帯電話で「実況中継」

 

母親は「病院の廊下で携帯電話に耳を押し当て、選手たちと一緒に校歌を歌う姿が忘れられない」と話す。

同11月に退院したが、2009年2月に転移、5月には「年を越すことはない」と宣告されます。

 

あっこは残された時間をグラウンドで選手たちと過ごすことに決め、「もう治療はしません」と医師に告げた。

 

2008年7月の県大会初戦もベンチで見守った。

 

初戦で敗退し、甲子園の夢はかなわなかったが、「みんながいるから私もがんばれた」と笑顔でナインに感謝した。

9月23日、野球部の仲間たちは「来年、あっこと見よう」とグラウンドの花壇にチューリップを植えた。

 

あっこも「一緒に植える」と心待ちにしていたが、体調をくずしてかなわず、同26日、自宅で倒れて入院。

 

1ヶ月後の10月29日、静かに息を引き取りました。

 

同月30日に営まれた葬儀の後、霊きゅう車はグラウンドのダイヤモンドを一周し、ユニホーム姿のナインは校歌を歌って別れを告げた。

宮地弘明監督(36)が、一枚の画用紙をそっと差し出した

 

そこにはたどたどしい「ありがとう」の文字

亡くなる2週間前、病室を訪れた監督が「何か書け」と手渡すと、目を開けられず、気道を切開して話すことも出来なくなったあっこが必死に書いた言葉でした。

 

監督は「野球部全員の進路が決まった報告をすると、手を強く握り返して喜んでいた」と声を詰まらせる。

春にはグラウンドのチューリップが花を咲かせ、新しいナインたちを見守る・・・

 

 

最後に、あっこさんのメッセージをコピーしましたので紹介します

 

【大崎耀子マネージャーより】
「チームワークは大事」だと学んだ一年でした。

去年甲子園に行ったからか、新チームになった当初は一人ひとりチームの事を考えず、チームがバラバラでした。

練習試合では一勝一敗とか「このチームには勝てるだろう」という気持ちがあり、自分達の野球というのがありませんでした。

しかし今ではチームみんなが同じ方向を向いて練習しています。

一人ひとり甲子園に行きたいという気持ちがとても伝わってきます。

全力で甲子園を目指し、全力で甲子園で戦うことを強く信じています!
容疑者M

 

色んな高校野球があるんですね・・・

 

 

 

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