まさかのサヨナラ 「キャッチャーボーク 」

「高校野球・徳島大会1回戦、城東2-1阿波」

(7月15日、オロナミンC球場)

城東が九回サヨナラで阿波を下し、初戦を突破しました。

 

息詰まる投手戦は、思いもよらぬ形で幕切れを迎えます。

 

1-1の九回裏、城東の攻撃。先頭の3番・中西雄大外野手(3年)が右中間二塁打で出塁すると、4番・武口哲也内野手(2年)の送りバントで1死三塁に。

ここで、サヨナラの大ピンチを迎えた阿波の鳴川真一監督(41)は満塁策を選択し、次打者への敬遠をバッテリーに指示します。

そしてエース・吉本健人投手(3年)が、5番・前野一輝内野手(2年)に投じた2球目に、岡田正幸球審がボークを宣告。

三走・中西が生還となり、城東のサヨナラ勝ちが決まったのです。

 

このボークは、阿波の吉本投手が投球動作に入った時点で、村田和至捕手(1年)の両足がキャッチャースボックスから出てていたために適用された。通称「キャッチャーボーク」と呼ばれるもの。
野球規則6・02「投手の反則行為」では、

「故意四球が企図されたときに、投手がキャッチャースボックスの外にいる捕手に投球した場合」

にボークとなると定められている。

 

審判部から説明を受けた阿波の鳴川監督は

「捕手はまだ1年生。私の指導不足のせいで悔しい思いをさせてしまった。野球の怖さを感じました」

と話し、エース・吉本は

「ボークと言われた瞬間、頭が真っ白になった。負けたのは悔しいです」

と声を震わせていました。

 

 

その場面がこちらです

 

青春のすべてを甲子園という夢の舞台にかける球児たち。

勝負である以上、どんなプレーにも判定が伴います。

 

大舞台だからこそ、ではなく甲子園に縁のない高校同士の練習試合も、日本中が注目する場面でも、普遍のジャッジがあってこそ高校野球は成り立ちます。

 

1998年夏の甲子園大会2回戦。

 

豊田大谷と宇部商は延長十五回、史上初のサヨナラボークによる豊田大谷の勝利という幕切れとなりました。

 

球審を務めた林清一氏(59)は試合を振り返りつつ、高校野球の審判哲学を語っています。

100年の歴史で今のところ唯一のジャッジは、異様な雰囲気の中、“究極の当然”を求めた結果の産物でもあった。

人によるかもしれない。ただ、林氏は「下調べをしない」をモットーに、ゲームに臨んでいた。

「コントロールがいいとか、三振記録を持っている、という予断が入ると際どい球のジャッジがぶれるかもしれません。人間には弱さもありますから」

完璧でないことを認め「見たまんまで判断する」。長年、自らに言い聞かせてきたことだった。

第2試合。グラウンドは38度。

直後に横浜・松坂大輔(現ソフトバンク)の試合が控えており、「あの時点で超満員でした」と振り返った。

 

五回終了時、水を飲んだ。試合は延長へ突入。

「水分、差し入れを期待したんですが、来なくてねえ」と笑うが、その時は笑い事ではなかった。

塁審もバテて、打球を追い切れなくなっていた。

しかし「早く決着をつけたい、と思ったら、ジャッジが雑になる」と、必死の判定を続けた。

十五回裏。豊田大谷は無死満塁の絶好機を迎えた。

200球を超える球を投げてきた宇部商のエース・藤田修平はこの場面で、林氏の想定になかった動きをした。



「審判として一番いけないのはビックリすること。そうならないように、あらゆることを想定するのですがあの時、ボークだけは考えてもなかった」

と振り返る。

 



「ふらふらで、汗もすごい勢いで流れていた」という林主審の眼前で、プレート板に足をかけた藤田はセットに入ろうとした手を「ストン、と落としたんです」。

林氏は迷わず「ボーク」を宣告、サヨナラゲームとなった。

「5万人のスタンドが一瞬、静まりかえって、そこからざわざわする声に変わりました」

とその瞬間を振り返った。

 

もし藤田が足を外していれば、ボークではない。

「だんだん不安になりました。(ミスなら)やっちゃった、審判人生、終わりだな」とも思った。

 

もちろん現場やテレビなどを見た同僚、関係者から「間違いなくボークだった」の確認が入った。

 

それでも直後の会見では、報道陣から

「なんであんなところでボークを取るんだ」

「注意で終わらせられないのか」

といったヒステリックな声も飛んできたという。

 

この場を収めたのは、ベテラン審判員の三宅享次氏。

「審判は、ルールの番人です。以上!」と制した。

 

当時は、四角四面の冷徹なジャッジと感じる向きもあったかもしれない。

 

 

 

通常、試合終了時は野手のミットやグラブに送球(投球)や、サヨナラなら打球が収まる。

しかしこの試合は、投手・藤田の手にボールが握られたままだった。

甲子園の、暗黙のルールとして、ウイニングボールは目立たないように、勝利校の主将にプレゼントされる。

が、林氏は2年生投手の藤田が渡そうとしたボールを

「持っておきなさい。そして来年、また甲子園に来なさい」と、受け取らなかった。

 

勝った豊田大谷にはポケットから出した試合球を手渡した。

試合を2時間以内で終わらせるため、ひっきりなしに選手を急がせ、機械的に判定を下すのが審判員ではない。

とっさに、ウイニングボールを敗戦投手に手渡した林氏。他の試合中にも、さまざまな隠れたやりとりはある。

終盤、つるべ打ちに遭った投手。投球数は増え、何度も三塁、本塁のバックアップに走り肩で息をしている。

本塁付近にいれば「頑張れ」と声をかける。

大敗の終盤、代打に背番号「18」の選手が出てくる。明らかに足が震えている選手も少なくない。

こっそり「深呼吸しなさい」とささやいて、汚れてもいない本塁ベースを掃き、時間を取ってやる。

「甲子園は、誰にとっても一世一代」。少しでもいいプレーをさせてやりたい。

 

林氏は「そういう時のために、通常は無駄な時間を省いて“貯金”をしておくんです」という。

 
豊田大谷vs宇部商 サヨナラボーク
 


 
 
15年後の2013年夏。

100年に1度のジャッジを下した林と、211球目を投げられなかった藤田が、高校野球イベントで再会を果たした。

32歳になった藤田は、家庭を持ち、職場での野球を楽しんでくれていた。

「元気でやっているところを林さんに見せたくて」。

山口からかけつけた藤田の姿と言葉に、林は「感無量」と漏らし、涙を流したという。
審判員の方も非常につらい決断と思います。

 
 

暑い中、ほぼボランティアで判定して下さる「審判員」の方に感謝です。

 

 

 

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