バニラ・エア問題について

格安航空バニラエアが6月5日、奄美空港で「歩けない人は乗れない」として、下半身不随の男性が車椅子に乗った状態で搭乗することを拒否した。

これを受けて男性は、車椅子を降りて腕の力でタラップをよじのぼって搭乗した。

 

という記事ですね・・・。

 

この記事だけ見るとバニラ・エアが車いす客に自力でタラップを這い上がるよう命じたかのような印象を受けてしまいますが、そうではないようです。

 

当事者の木島英登(ひでとう)さんの公式サイトでの説明によると

 

バニラ・エアから

「歩けない人は搭乗させられない」

「同行者が抱えることも危険なのでダメ」と言われた木島さんが、

「行きは同行者に抱えてもらったのに、帰りはダメと言われたのでは大阪に帰れない」

と焦りを募らせ、航空会社職員の制止を振り切ってみずからタラップを上がりはじめたというのが正確な描写のようです。

 

一連のバニラ・エアの対応も批判を浴びていますが、木島さんが航空会社に事前連絡していなかったことも相俟って、ネットユーザーからは木島さんに対しても「クレーマーだ」「プロ障害者だ」との批判が相次いでいます。

 

バニラエアの公式サイトでは以下のような記述があります。

奄美空港施設要件にともない、おからだが不自由なお客様/車椅子ご希望のお客様の安全確保およびSTEP利用時の不意の事故を未然に防ぐために、お客様ご自身またはお連れのお客様の補助を得てSTEPを昇降いただけるかの事前確認が必要となります。事前のご確認は予約センターまでお問い合わせいただきますようお願い申し上げます。

 

彼は事前連絡していませんでした。

もし、事前連絡していたのならどうだったのでしょうか?

 

毎日新聞の取材に、バニラ・エアは

「関空-奄美線では、自力で歩けない車椅子のお客さまから事前に連絡があった際には搭乗をお断りしていた」

と回答しています。

 

それを承知の上での「確信犯」ですね。

 

ご自身が下半身不随で車いすで生活する「バリアフリー研究所」の代表ならば何故事前に文書等で改善を求めなかったのでしょうか。

 

 

2016年4月に障害者差別解消法が施行されて1年以上が経過しました。

 

これによって、障害の有無にかかわらず、すべての人が適切なサービスを受けられることが法律で保障されることとなりました。

もちろん、この法律が施行されたらといって、障害者の要求がすべて通るわけではなく、あくまで「合理的配慮の範囲内で」という前提があります。

 

この「合理的配慮」について乙武洋匡氏が次のように述べています。

 

たとえば、「飛行機のサイズが小さすぎて私の車椅子を搭載できないなら、新しい機体を購入してほしい」という要求をしたとする。これは、あまりに莫大な予算を必要としてしまうため、「合理的配慮の範囲を超える」と見なされてしまうだろう。

しかし、木島さんが搭乗するためには、ストレッチャーさえ準備されていれば問題なかった。

実際にバニラ・エアは木島さんとのトラブルから二週間以内にストレッチャーを導入していることを考えれば、予算的にも、手続き的にも、そう準備に負担がかかるものではないことが窺える。

つまり、バニラ・エアは合理的配慮の範囲内であるストレッチャーさえ用意していなかったのだ。

これは、明らかに障害者差別解消法に反する状況だったと言える。

 

との事ですね。

 

罰則もない「障害者差別解消法」では大手の一流企業で資金があれば対応は可能でしょうが、階段をスロープに変える資金繰りにも苦しい飲食店等には難しいでしょうね。

 

木島さんの行為は現在の状況を公にして世間の人に理解していただきたいとの思い出の実力行使だったのでしょう。

しかしながら、この事件で飛行機の離着陸の遅れ等他の人に迷惑をかけていることも忘れないでください。

 

 

大変失礼ながら「障害者」の方は一人では出来ない事がたくさんあります。

中にはそれを「障害者」の特権と勘違いして無理強いする方もいらっしゃるようです。

 

遠慮は無用ですが、強要はできません。

 

 

今回の事件で意見は二つに分かれます。

 

一つは

事前に連絡する「ルール」を守らなかったのは木島さんなのに、なぜ航空会社が一方的に非難されるのか・・・

 

一つは

「歩けないことを理由に搭乗拒否をするのは、障害者差別禁止法に違反する」バニラ・エアへの設備、配慮の無さ

 

 

どうなんでしょうか?

 

本来であれば、仮に搭乗が心地よく許されたとして、万が一航空機内で火災でも発生してしまったら・・・

もし、木島さんが出口付近で車椅子で他の人より場所を多くとって非難の妨げになってしまったら、逃げ遅れて焼死してしまう人が出てくる可能性もありますね。

 

バニラ・エアとしてはそこまでの改善をしなければやはり搭乗を拒否するしかなく、今回のストレッチャーの導入だけでは終わってはいけないでしょう。

可能性のある不慮の事故に際しても対処できなければ「搭乗をお断り」する決断の方が勝ると思います。

 

 

「障害者」の方には大変酷な言い方になってしまいますが、遠慮はしなくていいのですが、迷惑をかけてはいけないと思います。

 

あなた方をお手伝いする事を「迷惑」と感じない人はいっぱいいますから・・・

 

 

 

これ見て泣かない奴は鬼 で 鶴田浩二さんも言ってます。

 

「人と違う人生・・・」

障害者の方には度々失礼な言い方になってしまいますが、健常な人とは違う人生を歩むことになります。

 

 

障害者の方のブログからです。

 

動ける肉体を持っている人は、動けない肉体を持つ人に自分の能力を与えていけば良い。

肉体は動けないけれど、人並み以上の精神力を持っていればそれをみんなのために与えれば良い。
体が動かなければ、残された部分をフルに磨いてそれを使っていけば良い。

いろいろな知識を持っている人は、知識がなくて困っている人のために与えれば良い。
お金がある人はたくさんの税金を払って社会の人のために貢献すれば良い。

ただそれだけの事なんだ!ということに気づき始めると障害者として生まれた事、障害者として生きることが全然悪いことではないな、どうせならこれを楽しんで生きてやろう!という気持ちになってきます。

 

「あなたがたは障害や病気がとんでもない悪いことのように、または人生の足を引っ張り続ける妨害者のように思っているかもしれないが、それによって救われ成長させられ、多くの財産を手にしている人もいるんですよ。

そして障害者として私は生まれ、障害者として私は楽しんで死んでいきたいと心から思っているんですよ。これは決して強がりでも何でもありません。

なぜなら、私の人生はあなたが想像している以上に満たされており幸福で、これからもそれが続いていくことを私は知っているから。」

 

私の体に十分な機能として残されている部分はもう殆どありません。
しかし、多くの人が持っていないものが私にはあり、それをさらに磨いて生かしていけば十分に社会貢献出来ますし、多くの人が喜んでくれることが出来ると思っています。
現実に、それを一緒にやって行こうとしてくれているスタッフさん達がいますし、多くの仲間もいます。全面的なバックアップをしてくれる家族もいます。

 

私は何も「ない」人間です。

「ない」からこそみんなが持っている能力や技術、知識を有難く受け取り「ある」ものに変えていくことが出来ると思っています。
障害者が自分のそのままの姿や状態を受け入れて生きているだけで、実は健常者は障害者に対し対等な思いを持ってくれるんです。
多くの人はそれを逆に考えてしまっているから苦しくなる。

若い頃の私は自分で勝手に苦しんでいたけれど、今はこんなに大勢の人の中で生きていくということが楽なことだったのか…と感じています。

 

「健常者は、健常者と同じでありたいと思っている障害者とは対等に付き合うことはない!」

 

「障害があるとかないとか関係ない。ただあるものはない者のために、ないものはある者のために与え合えば良い。」

 

 

このブログの作者の言葉・・・考えさせられますね。

 

 

 

 

 



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