打率.364のヤンキース傘下3Aの加藤豪将って?

 

加藤豪将内野手が所属するヤンキース傘下3Aスクラントンとメッツ傘下3Aシラキュース戦は悪天候のため中止となった。

加藤は前日27日のシラキュース戦のダブルヘッダーに出場し、2戦合計8打数5安打と大暴れ。

ここ最近6試合中、5試合でマルチ安打。

打率.364まで上げ、チームトップタイの5本塁打、同2位の12打点をマークしている。

 

チームは今季4試合目の中止となった。

ヤンキースは開幕からジャッジ、スタントンら故障者が続出。

メジャー初昇格が期待される加藤は、いかにコンディションを維持するかも大事な鍵となりそうだ。

 

加藤・ジョン・豪将(かとう ジョン ごうすけ)

カリフォルニア州マウンテンビュー生まれ。1998年、3歳の時に神奈川県へ移り住む。

ともに日本人である両親の仕事の関係で2000年7月にアメリカのサンディエゴに移住し、6歳からリトルリーグで野球を始めた。

2002年に家族でシアトル・マリナーズ戦を観戦しイチローを見て感動し、元々右打ちだったのをイチローをまねて左打ちを取り入れ両打ちになり、その後左打ち一本となった。

カリフォルニア州サンディエゴのランチョ・バーナード高校に進学し、在学中打率.411、25本塁打、114打点を記録。

ルイビルスラッガー社が選ぶ全米ファーストチーム、ローリングス社が選ぶ全米セカンドチーム、ゴールデングラブ賞を受賞。

 

高校卒業後はカリフォルニア大学ロサンゼルス校への推薦入学が内定していたが、2013年6月6日に行われたメジャーリーグのドラフト会議で、ニューヨーク・ヤンキースから2巡目(全体66番目)で指名された。

日本国籍を持つ選手がMLBドラフトの全体100番目以内で指名されるのは史上初。

同19日に契約金84万5700ドルで契約した。

 

契約後はルーキー級ガルフ・コーストリーグ・ヤンキースに合流。

6月21日、開幕戦のパイレーツ戦で本塁打を放った。

50試合の出場で打率.310、6本塁打、25打点、OPS.924、4盗塁を記録。ガルフコーストリーグのベストナインおよびベースボール・アメリカ誌選出の来季チーム有望株トップ10位に選ばれた。

12月2日にはMiLBとTopps社が選ぶ「Topps Short-Season/Rookie All-Star」に選出された。

 

2014年3月31日にA級チャールストン・リバードッグスへ昇格した。

前半戦は57試合の出場で打率.190、2本塁打、OPS.618、12盗塁と低迷したが、後半戦は64試合の出場で打率.251、1本塁打、OPS.719、8盗塁と打撃成績を上昇させてシーズンを終える。

 

2015年、A級チャールストンで開幕を迎えたが、39試合の出場で打率.161、1本塁打、9打点、OPS.466、8盗塁の成績で5月25日にフロリダ州タンパで行われている延長キャンプに送られた。

その後、6月下旬にルーキーアドバンスド級プラスキ・ヤンキースへ合流。

ここでは59試合の出場で打率.287、5本塁打、22打点、OPS.842、9盗塁の成績でアパラチアンリーグのベストナインに選ばれた[12]

 

2016年は、ルーキーアドバンスド級プラスキで開幕を迎えたが、5月23日にA級チャールストンに昇格した。前年までは二塁手専門だったが、当シーズンからはユーティリティープレイヤーとして他のポジションも守るようになる。

 

2017年は、A級チャールストンで開幕を迎え、4月2日にタンパの延長キャンプに送られ、5月2日にA+級タンパ・ヤンキースに昇格した。

 

2018年は、キャリアで初めて招待選手としてメジャーのスプリングトレーニングに参加(オープン戦は出場なし)。

開幕はAA級トレントンで迎え、シーズン終了までプレーした。



 

2019年は、前年同様に招待選手としてスプリングトレーニングに参加、オープン戦にも初出場した。開幕はAAA級スクラントンで迎えた。

 

生まれ自体はアメリカだが、5歳で再渡米した時点では英会話ができず、野球を始めるようになってから英語やスペイン語を上達させていった。

また、ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の代表に選ばれる機会があれば日本代表で出場したいと述べている。

 

尊敬するイチローとは神戸で練習や食事を共にしたことがある。

 

6歳の時に父親に連れられ、サンディエゴで行われたパドレス・マリナーズ戦を観戦。

加藤の両親は共に日本人で、海を渡って米国へやってきた。

唯一のアジア人だったイチローに自身を重ね合わせたという。

「彼のパフォーマンス、そして振舞いは、慣れない環境によって悪影響を受けたりはしませんでした。周りとは違うという現実を彼はしっかりと受け止め、自信を持って振舞っていたのです。彼の姿が、僕には勇気の表れだと映りました。そして、その日からイチローさんの虜になりました。時間が許す限り、彼のプレーを見ました。とにかくイチローさんのようになりたかったのです」

 

異国で躍動するイチローとの“出会い”は全てがプラスに働いた。

幼稚園では日本語しか話せず友達ができなかったが、「イチローさんのプレーを見ることで、僕はクラスメートたちに話しかける勇気をもらったのです」と、仲が良い本当の友達を見つけることができたという。

「イチローさんは僕に、アメリカ社会に溶け込む勇気を与えてくれました。新たな友達を作り、途切れることのない関係を築いてくための勇気です。僕の人生は変わりました」

野球でも同じだった。

現在は188センチ、91キロとガッチリした体格だが、プロ入り前は「野球チームでは一番小柄」だったという。

強靭で屈強なメジャーリーガーの中で活躍するイチロー。

華奢だった自身は勇気をもらった。

打ち方もイチローの影響で左打ちに変えた。

 

「イチローさんはアメージングな才能を持っていました。しかし、本当の強みは野球への向き合い方、取り組み方なのです。可能な限り鍛錬を積み、完成度や安定感を得るために、彼は毎日練習を続けました。僕も最高の選手になるために、野球の向き合い方、取り組み方を真似ようとしました」

 

2013年ドラフト2巡目(全体66位)でヤンキース入り。

マイナー施設での打撃練習に招待され、レジェンドと初対面した際は「夢がかないました。そこでの出来事はほとんど覚えていません」と興奮状態だったという。

その後はメールで打撃技術などについて質問したことがきっかけで、オフに日本で自主トレに誘われた。

「とても長く、ハードな練習でした。しかし、本当に楽しい時間でした。僕とイチローさん2人だけで練習を楽しみました」

と振り返っている。

イチローの現役最後の試合となった21日のアスレチックス・マリナーズ戦はチームバスでの移動中に携帯でチェック。

「僕の気持ちは感謝と尊敬だけでなく、これがイチローさんの素晴らしいキャリアの最後になってしまうという深い悲しみでも胸がいっぱいになりました。あの日ドームにいたファンの人たちには感動しました。なぜなら、イチローさんが彼らにとって、そして世界中の数多くのファンにとってどのような存在かを、彼本人へ示そうとしていたのですから」

と綴り、最後にこう締めくくっている。

 

「ありがとうございます、イチローさん。僕を日本での練習に誘っていただいてだけでなく、これまでにあった他の全てのことにも感謝しています。若い選手たちに、このような素晴らしい見本をみせてくれて、ありがとうございます。私たちが共に愛する野球に強い影響をもたらしてくれたこと。そして、選手としても人としても、僕に永遠に続いていく影響を与えてくれたことに感謝します。お疲れ様でした、イチローさん。あなたは雲の上の人です」

 

第二のイチローになって下さい!!

 

 

 

-スポーツ, 話題
-, , ,