「衣笠監督」が実現しなかった訳

 

2018年も残すところあとわずか。今年も多くの方々が、その生涯に終止符を打ちました。元広島内野手・衣笠祥雄さんは4月23日、上行結腸がんで亡くなりました。

享年71歳。

スポーツ報知では、知られざるエピソードとともに、故人をしのびます。

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記録にも記憶にも残るスーパースターだった。

衣笠氏は1979年に巨人・西本聖の死球で肩甲骨を骨折したが、翌日に代打でフルスイングの3球三振。

「1球目はファンのため、2球目は自分のため、3球目は西本君のために振りました」

と話した。

同年の日本シリーズ第7戦で伝説の「江夏の21球」。

マウンド上で孤独を感じる左腕に歩み寄り「オレもお前と同じ気持ちだ」と、一緒にユニホームを脱ぐ覚悟を伝えた。

名場面での言葉に男気、人間味があふれ出る。

だからこその思いが、広島ファンならずともある。

 



「衣笠監督」はなぜ実現しなかったのか―。

 

鉄人の無二の親友だった江夏豊氏がこの問いに丁寧に答えた。

「これは謎。いろんな説があるけど…。先代のオーナー(故・松田耕平氏)室には衣笠のものばかり飾られていた。なぜ、あれだけの功労者なのにカープの指導者になれなかったのだろうか。オレには分からない」

と思案を巡らせ、さらにこう続けた。

「ある時、サチに聞いたことがある。『指導者というものに魅力はないんか』と。『ある。やってみたい』と、はっきり言った。

でも、監督というのは、自分がやりたいからやれるものでない。サチも何があったのか言わない。他球団のユニホームを着るチャンスは、あるにはあったらしい。即座にお断りしたと。『オレは広島の衣笠だ』ということ。それが、どこのチームなのか聞きもしていないけど」

87年の引退後、指導者として球界に復帰することはついになかった。

縁やタイミング、強すぎた広島愛、理由は一つではないだろう。

 

野球人生もまた、小細工なしのフルスイングだった。

 

 

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