巨人を変えた男「内海哲也」は何故西武へ・・・

 

確かにここ4,5年はエースのかけらもない・・

しかしこの男、内海哲也は成績だけでは測れない巨人のエース、精神的主将であった。

 

元巨人の笠原将生氏のツイッター

「ふざけすぎ 他球団の血を入れたら絶対ダメな人を持ってかれた。もう巨人の監督できないやん。もうぐじゃぐじゃやな」

 

エピソード

内海が入団した時の投手陣は、エースの上原浩治に桑田真澄、高橋尚成らの生え抜き投手とFA移籍した工藤公康がいたが、これら実績ある投手は一国一城の主として君臨し、若手投手からは口も利けなかったという。

ある日、内海が先輩投手と話をしていた時、それを見たある選手に「内海は他の派閥に移った」と告げ口され、元々派閥意識がない内海は非常にショックを受けた。

当時内海は、同じ左腕の高橋尚成を慕っており、数年後に高橋がメジャーに移籍した後は、投手陣のグアム自主トレのリーダーを引き継いだ。

と同時に、あの暗黒時代が二度と起きないように、環境を変えようと決意。

手始めに、後輩投手への呼び方を名前(あだ名)で呼ぶようにしたり、オフの調整方法を自ら教え、練習も出来るだけ一緒にやるようにしたという。

その後、先輩投手が移籍や引退して行き、内海が投手陣のリーダー格になって来た時、チームもリーグ三連覇を達成し、ようやく自分の考えた環境(フラットな関係)に少しずつ変化して行った。

2011年の12月、杉内俊哉が巨人移籍を発表した後も、年上(巨人は完全な年功序列)の杉内に承諾して貰い「あだ名(トシ兄)」で呼んでお互いの距離を縮め、若手投手との架け橋にも尽力したという。

当時は一軍の実績がなかった田原誠次や、宮國椋丞をはじめとする新人や2~3年目の投手が次々と上がってきた際も、全て「あだ名」で呼べる空気に変えていった。

のちに杉内自身、内海の心遣いは巨人に馴染むのに大変助かったと語っている。

それは、2012年5月にノーヒットノーランを達成後、後日記念Tシャツを配った際、杉内は「誰も着てくれないんじゃないか・・・」と思っていたが、投手陣全員が試合前に記念Tシャツを着用して練習に望んでくれた時に実感したと言う。

これについては同年に同じFAで移籍した村田修一も同意しており、

「いつも明るくて元気、マウンドでも元気。落ち込んでいる姿を一切見せないっていうのが、エースなんだなと思う。 僕は今年に移籍してきましたけど、食事の席に乱入してきてくれたり、とけ込めるようにしてくれていた。ああいうことも自然にできるから、すごいですよね。助かりましたよ、本当に」

と語っている。

 

 

自身が中継ぎのころ、毎試合後にブルペンのゴミを拾い、きれいに片付けてから引き揚げていた。

スタッフは「初めて見たとき、感動した。後にも先にも彼だけ」と語った。

 

 

チームメイトの山口鉄也とは仲が良く、山口は2012年に日本一を達成した際に

「はじめて会った時から、内海さんは何も変わっていない。育成で入った僕を見下さなかった。最初から気さくに声をかけてくれた。何かがある時は必ず相談する。結婚も最初に報告しましたし、公私関係なくです。なぜかと言われればわからないんだけど、人柄、なんでしょうね」

と語っている。

2015年からチームキャプテンを務める坂本勇人とも、年こそ離れてはいるが公私ともに仲が良く、坂本は

「もし自分が女性だったら、内海さんと付き合いたい」

と語っている

 



 

2012年巨人に在籍した中谷仁は、内海を選手としてだけでなく、ひとりの人間として尊敬していると語る。

2012年、中谷は古巣楽天との試合で、アーリーワーク(早出練習)をしていた。

すると楽天の関係者があいさつに来て、「お前はウチに残ってほしかったんだよ。でもいいな、ジャイアンツのユニフォームを着て」と言われたという。

そのやり取りを聞いていた内海が少しムキになって中谷に

「(中谷)仁さん、ありえないですね。普通ね、チームに残ってほしいと思うんだったら残すでしょう。社交辞令とはいえ、あれはないです。見返してやりましょう」

と熱い言葉をかけたという。

中谷は巨人に移籍して数カ月しか経っていなかったが、そうした内海の言葉に感激したという。

中谷は翌年引退したが、

「私が裏方になっても、接し方は何も変わらなかった。人として尊敬できる意識、考え方を持った選手です。私が巨人を辞める時、いろんなことを察してくれたのでしょうね。内海は多くを語らず、『仁さん、巨人に残ってくださいね』とだけ言ってくれた。それだけで私は嬉しかった。選手としてだけでなく、ひとりの人間として尊敬しています。頑張れ、内海!」

とエールを送った。

 

 

2014年に戦力外となった井野卓と加治前竜一の自主トレに飛び入り参加し、約30分間、打撃投手を務めた。

シーズンを終えたばかりのベテランが投球練習をする時期ではなく、秋季キャンプも打ち上げ、オフの時期であり、加えて本来は別の場所で練習予定だったが、2人との合同練習を優先した。

「同じチームだったし、力になりたくて。少しでも実戦感覚を積んでほしいというか、感覚を研ぎ澄ませて合格への足しになれば。何とか頑張って欲しいし」

と語り、1球、1球を丁寧に投げ込んだ。

この粋な計らいに、加治前は「何億ももらっている人が戦力外の俺たちに投げてくれる。すごいよ」。

井野は「涙腺弱ってきたのかな」と目元を赤くした。

その後、井野は東京ヤクルトスワローズに入団し、加治前は社会人野球の三菱重工長崎に所属した。

 

 

どうでしょうか・・・

こんな精神的支柱を原さんはいとも簡単に手放してしまうんですね・・・

 

 

 

 

 

 

 

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