本木雅弘の長男 樹木希林が影響?

 

本木雅弘(52才)と内田也哉子(42才)の長男が「UTA」としてモデルデビューを果たしていた──。

 

「内田家」ほどユニークな存在感のある一族は他にない。

 

「祖母」は異能の名女優、

「祖父」は孤高のロックンローラー、

「母」は不思議なオーラの一人娘、

「父」はこだわりの俳優。

 

 

そんな“濃いキャラ”同士が、どんな化学反応を起こして、「新たな才能」を世に送り出すのか。

 

1995年7月、元シブがき隊の“モックン”こと本木雅弘の結婚は世間をアッと驚かせた。

理由はお相手が、女優・樹木希林(75才)とロックンローラー・内田裕也(78才)という“個性派夫婦”の一人娘・内田也哉子であったこと。

そして、本木が内田家の「婿養子」に入ったことだった。

 

「『内田』のやってきたことを将来、思い出してくれる人がほしい。滅んでいく家を救ってください」

 

そう樹木らしい表現で本木を説得し、養子縁組が実現したという。

その2年後の1997年10月、内田家の未来を託せる長男が誕生した。名前は、雅樂(20才)。

読み方は「うた」と言い、雅樂には「日本古来の神に捧げる音楽や歌」という意味が込められているという。

 

 

それから10数年後。一部の映画関係者の間では、樹木が海外の映画祭に出かけると、いつも同じ「長身の青年」が寄り添っていることが知られるようになった。

逞しい体つきに似合わず、おとなしく謙虚な性格。

ネイティブのような流暢な英語を操る、樹木の「専属通訳」。試写会に登壇する樹木の横に立ったこともある。

 

 

2018年6月20日、世界最高峰のファッションショー「パリ・コレクション」の会場。

本木と也哉子夫婦が並んで座り、日本のブランド「アンダーカバー」のランウェイを見つめていた。

スポットライトの下を歩くのは、あの「長身の青年」だ。

 

 

あのアジア系モデルは一体、何者なんだ――世界中から集まったファッショニスタたちが、その新人モデルについて囁き合ったという。

 

モデルの名は「UTA」。

つい先日、同じくフランスのカンヌで称賛された名女優が待望した初孫だとは、誰も気づくことはなかった。

 

 

「UTAくんは13才頃に身長174cmの本木さんと同じ背の高さになりました。今では、なんと195cmと規格外の長身です。考えてみれば、希林さんは160cm、裕也さんは175cmと、あの世代の人としてはかなり大きい。祖父母の影響なんでしょうね。ワイルドな風貌は父親譲りですが、優しい目元はお母さんに似ています」(内田家の知人)

 

 

UTAの下には、長女の伽羅(きゃら・18才)と次男の玄兎(げんと・8才)がいる。

 

「伽羅ちゃんは2011年の映画『奇跡』で樹木さんと共演し、話題を集めました。そのオーディションを勧めたのが樹木さんでした。UTAさんのモデルデビューも、樹木さんの後押しがなければ実現しなかったでしょう」(芸能界関係者)

 

 

◆スイスの寄宿舎まで祖母が付き添い

 

“滅びるはずの内田家”を救う存在――UTAが生まれたとき、樹木の溺愛ぶりは相当だったという。

 

「生後4か月のUTAくんのお宮参りのことです。式の終わりにUTAくんがぐずり始めた時、樹木さんがミルクを飲ませ、笑顔であやしていたのが印象的でした。UTAくんは、小学生の時は東京のインターナショナルスクールに通い、中学からは単身でスイスに留学しました。

もともと、母の也哉子さんも保育園から小学校までインターですし、9才の時からニューヨークにホームステイ留学。スイスの大学にも通っていました。それは、希林さんの“かわいい子には旅をさせろ”という教育哲学に基づくもの。それをUTAくんにも実践させたんでしょうね」(前出・内田家の知人)

 

 

UTAがスイスに飛び立つとき、本木はNHKスペシャルドラマ『坂の上の雲』に主演中で、也哉子も次男を産んだばかり。

そのため、樹木がUTAと一緒にスイスに飛んで寄宿舎まで送ったという。

 

 

スイス留学したUTAはスポーツでも超エリートコース。

長身を生かして小学5年生から始めたバスケットボールを留学先のスイスでもプレーし続けた。

 

 

「UTAさんは足が大きくなるたびにお父さんにバスケットシューズを送ってもらっていたそうです。お父さん譲りのストイックさで練習を重ねるうちに、アメリカの名門スポーツ校のスカウトの目に留まって転校。大学もカリフォルニア州にあるバスケの強豪校に進学しました。昨年5月、日本代表チームの東アジアバスケットボール選手権の直前強化合宿に参加したほどの実力です」(UTAの知人)

 

 

 

◆服というのは内面を映す鏡

 

UTAがファッションの世界に飛び込んだのも、樹木がきっかけだったという。

 

「UTAさんが中学生になった頃から、樹木さんが海外の映画祭に行く時は、彼に通訳をお願いしていたそうです。たとえば、2011年にカナダ・モントリオール映画祭に出席した際、試写会の会場で通訳担当として一緒に登壇していたぐらいです。

その活動の中で、俳優やモデルとしてのスカウトは度々あった。最近、パリに本拠を持つモデル事務所の関係者が彼に目をつけて、“モデルとして活動しないか”と熱心に誘ったそうです。UTAさんはバスケとの両立をかなり悩んだそうですよ」(ファッション業界関係者)

 

 

パリコレでのデビューにあたり、UTAはファッション誌『i-D JAPAN』ネット版のインタビューを受けている。

 

そこで、樹木にかけられたこんな言葉が、モデルになる決断の後押しをしてくれたと明かした。

 

《「ある種、服というのは内面を映す鏡。同じ服を着てもみんな違って見える。いろいろな服を着ることで、より自分を客観視できる。それは生きていく上でも大切なこと」》

 

 

前出・内田家の知人が打ち明ける。

 

「希林さんは、“ファッションを通していろいろな人に出会い、いろいろなことを経験することでまだ知らない自分自身に気づくことができるし世界が広がる”と孫に伝えたかったようです。つい最近、UTAくんはパリのエージェンシーと契約しました。日本のモデル事務所に入らなかったのは“モックンの息子”として注目されるのではなく、自分の力でどこまでできるか試したかったからだそうです」

 

 

今回のパリコレでは「コムデギャルソン」と「アンダーカバー」のモデルとなった。

 

「アンダーカバーは有名人もファンが多いですが、それ以上に海外で高く評価されています。デビュー直後にそのブランドのモデルを務めるのはすごいこと。今、一流メゾンは中国を筆頭としたアジアマーケットを大切にしており、高身長でありながら和顔のUTAには大きな期待を寄せています」(別のファッション業界関係者)

 

パリコレ会場の舞台裏では、也哉子が息子の話を熱心にしている姿もあった。

 

日本が誇る“個性派家族”の後押しを受けて、若い才能が海外で輝き始めている。

 

 

 



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