川崎宗則の報道に「おかしい」

 

3月26日、球団から「川崎宗則選手の退団について」と正式に発表があった。

 

福岡や九州のみならず、日本全国、そして世界中で愛されたムネリンだ。

書かないわけにはいかないだろう。

 

 

ファンに衝撃を与えた退団理由

ファンの皆さんは退団の理由に衝撃を受けたに違いない。

 

球団発表による川崎本人のコメントは以下のとおりだ。

 

「昨年の夏場以降からリハビリを続けてきましたが、同時に自律神経の病気にもなり、身体を動かすのを拒絶するようになってしまいました。このような状態で野球を続けるのは、今の自分には考えられません。悩んだ末、この度、ホークス球団と協議して自由契約という形で、野球から距離をおいてみようと決断しました。

川崎宗則が元気でプレーする姿を楽しみに待ってくれている皆様には、本当に申し訳ない決断ですが、今は環境を変えて、じっくりと心と体の回復につとめます。たくさんの皆さんに心配をかけたことを申し訳なく思っています。同時に、たくさんの皆さんに応援して頂いていることに心から感謝しています。本当にありがとうございます。」

 

 

自律神経の病気。身体を動かすのを拒絶。

 

球団発表以前にスクープとして報じた「西日本スポーツ新聞」の記事によれば、食事もままならず体重が大きく落ちたこと、一時は入院生活を送ったことについても触れられていた。

 

ずっと球団と契約を交わさず、近況が報じられることもほぼなかった。

あれだけの人気者だ。ファンはみんな心配していたし、筆者もかなり多くの人から問い合わせを受けた。

 

 

じつは、福岡のホークスに精通するメディアの多くは、彼の病状について情報を掴んでいた。

ただ、事が事だけに、万が一の場合まで想定して彼の身を案じ、報じるのを控えていた。

 

『引退へ』報道への疑問

しかし、時は待ってくれない。

 

ペナント開幕だ。

このタイミングで報じられたことはある意味仕方なかったと考えている。

 

だが、その中身が疑問だった。

 

 

見出しは『引退へ』。

 

いや、おかしい。

筆者が多少なりとも知る話と違っていた。

川崎は体を動かし始めていると聞いていた。

ただ、まだ軽めのジョギングなどで、野球につながるような本格的なトレーニングではない。

もちろん体調回復が最優先だ。

 

その中でも前へ進もうとしていると伝わってきていた。

 

 

各媒体が後追いで「引退」の2文字を使用した。

いや、任意引退ではないはず。

そこで敢えて、筆者は「Yahoo!ニュース個人」の枠で<「川崎宗則引退へ」報道は本当なのか? 一方で真逆の情報も>という反論記事を掲載したのだった。

 

 

結果、当初は26日中の発表はなし、としていた球団も動いた。

 

自由契約による退団。

分かりづらいかもしれないが、厳密に言えば「引退」ではない。

再びプレーヤーとして復帰の可能性がゼロになったわけではないのである。

 

同日には球団フロント幹部が報道陣の取材に応じ、状況を改めて説明。

「ニュースリリースに記載の通り」という表現が多かったが、取材の中でじつは重要なひと言を聞くことが出来た。

 

 

――川崎選手とお会いになって、彼自身「引退」という言葉は口にしたのでしょうか?

「僕と話している中では、リリースのコメントどおりですが、一旦野球からは距離を置きたい、と」

 

 

一旦、と言った。

リリースを読み込んでもなかなか見えなかった答えが、その一言に集約されていた。

 

 

かすかでも、確実に前進

少なくとも今は体調回復に専念をするというのは事実。

期限は設けず、どれくらいの時間がかかるのかは分からない。

 

焦る必要もないと思っている。

 

ただ、元気になった時、「野球選手・川崎」の可能性を完全に消してしまうような報道の持っていき方はちょっと納得できなかった。

しかも任意引退ではなく自由契約なのだから。

翌日以降も、一度振り上げた拳は下ろせないというような報道も見受けられるが、ファンの皆さんにはぜひ冷静に情報を見極めて頂ければと思うし、お願いしたい。

 

 

どんな時もチームのムードメーカーで、幾たびの逆境も笑って跳ね返してきたのがムネリンだ。

 

ただ、シカゴ・カブスで同僚だった上原浩治(巨人)が「繊細だった」とコメントしたとおりの男である。

 

筆者がこの世界に飛び込んだのは2002年。

 

記者クラブ制度が根強く、現在よりもその色が濃かった当時は「異物」として扱われ、なかなか話し相手も出来なかった。

 

時を同じくして、1軍でプレーし始めたのが当時21歳の川崎だった。

 

「1軍は先輩ばかり」といつも萎縮していた。

話し相手がいない者同士、気づけば距離が縮まった。仲を取り持ってくれた繁昌良司カメラマンと一緒に球団誌で川崎の連載ページも担当させてもらった。

それは一旦ホークスを離れる2011年まで続けた。

 

 

女性ファンから絶大な人気を誇ったが、初めの頃は「なんでこんなにキャーキャー言われるんだろう」と首をすくめていた。

 

また、当時ファイターズでスターだった新庄剛志が二塁打を放った際に

「君、いいバッティングしてるねって褒められたんだ」

と嬉しそうに語っていたのも、若かりし頃ならではのエピソードだ。

 

そういえば

「新庄さん、グラウンドでもいい匂いをさせてるんだよ。あんな選手初めて。なんの香水だろ」

と笑っていたのも懐かしい。

 

 

プロ7年目、第1回のWBCで代表戦士として戦ったあたりからスター選手としての風格も増したし、彼のキャラクターも一気に突きぬけた感がある。

 

少年時代から憧れだったイチローと急接近できたことが大きかったのかもしれない。

 

 

「ストレスのない人生なんてくそくらえ」

2012年に「イチローさんと一緒にプレーをしたい」と言ってアメリカにわたって以降、持ち前の底抜けな明るさが全米を驚かせた。

 

ただ、マイナー生活も長く、苦労は常に絶えなかったようで、500円玉ほどの大きさの円形脱毛症になったと言ってその跡を見せてくれたことがあった。

 

「でもね、ストレスのない人生なんてくそくらえだよ!」

 

昨年、日本に帰ってきてからも「Have Fun!(楽しもう)」「ハッピーホルモン」などのムネリン節で、ベンチでもロッカーでも盛り上げ役を買って出た。

 

みんなに愛されるムネリンはいつもテンションが高かった。

 

ただ、川崎宗則自身は、ちょっと疲れが出てしまったのだろう。

 

 

かすかでも、確実に前進。

川崎が若手時代に座右の銘にしていた言葉だ。

少しでもいい。

ゆっくりでもいい。

前へ進むのならば、また我々野球ファンは川粼宗則と再会できる日が必ず来るはずだ。

 

 

また、彼の元気な姿が観たいですね。

 

 



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