【平昌五輪】両親医者 天才・宮原知子の素顔

 

ィギュアスケート女子のフリーで宮原知子(19)=関大=は自己ベストの146・44点、合計でも自己最高の222・38点をたたき出したが、メダルには届かず4位に終わった。

 

「私は彼女を『努力の天才』と呼んでいます。抜群に賢い。勉強だけをさせたら、医学部に行くんじゃないですか」

 

関大中・高等部で中1から4年間担任だった松村湖生(こお)さん(42)が、“幻のリケジョ”の高いポテンシャルに舌を巻く。

 

 

当時は朝のスケート練習後、学校まで片道20分のバスの中でお弁当を食べ、午後からの授業に参加。

夕方リンクで練習後、夜7時になっても学校に戻って勉強した。

 

 

両親は医師。

7歳まで米ヒューストンで暮らした帰国子女でもある。

容姿端麗。スケート同様に“ミス・パーフェクト”と呼びたくなる。

恵まれた環境に見えるが、試練もあった。

 

 

米国での幼稚園時代、日本人が誰もいない不安で言葉が出なくなった。

 

中学時代には、試合直前にスケート靴を隠されたことがある。

しかし、宮原は泣くこともなく、堂々と滑りきった。

「どうやって滑ったの?」と心配した松村さんに、

「もう1足、予備を持ってきていたから大丈夫なんです」

と事も無げにニコッと笑ったという。

 

 

追い詰められた場面を想定し準備を怠らない。

五輪の舞台でも、堂々と英語でインタビューに応じ、団体戦では日本の男女シングル選手でただ1人、応援席で“同僚”に声援を送った。

 

他競技の日本選手にも食堂や宿舎で自ら話しかけた。

 

 

中学1年の作文では、10年後について

「スケートを引退してからハーバード大に進み、海外で暮らしたい」

と書いたが、会心の演技でも届かなかったメダル獲得が4年後の最優先課題になる。

 

「自分に勝つよりも、自分を信じることを意識して滑りました」

 

「(五輪は)自分のやってきたことを信じて思いっきりいけば、しっかり楽しめる試合だと感じました」

 

やや孤独な生い立ちから内気に育った19歳は、五輪で変わった。

 

想像を絶する緊張の舞台でつかんだものは大きい。

 

 

 



-いい話, スポーツ, 話題
-, ,