「テレサ・テン」の遺品が台湾でゴミ扱い?!

 

1980年代に日本で絶大な人気を誇った台湾出身の歌手テレサ・テン(1953~95)。

 

その人を知らない若い人も、上司や先輩がカラオケで歌う「つぐない」「愛人」「時の流れに身をまかせ」を聴いたことがあるのではないだろうか。

 

生誕65周年の今年、日本ではCD4枚組のベスト盤 も発売される予定だが、彼女の故郷・台湾では、彼女の記念館 は閉鎖、遺品はゴミ扱いになっているという。

 

***

 

テレサ・テン(訒麗君)は1953年、台湾北部の雲林県で生まれた。

父は国民革命軍(中華民国軍)の職業軍人であり、中国共産党との内戦に敗れ、49年に妻と共に台湾に渡った、いわゆる外省人だった。

 

彼女の生涯に詳しい台湾在住ジャーナリストが説明する――。

「台湾では、10歳の時に歌唱コンテストで優勝。天才少女と呼ばれて14歳で歌手デビュー。18歳の時には香港でレコードをリリースするなど、日本にやってくる前に東南アジアの歌姫だったそうです」

 

彼女が初めて日本にやって来たのは73年、20歳の時だった。

拠点は香港だったが、翌年から日本での歌手活動をスタートして「空港」がヒット。

その年のレコード大賞などの新人賞を総なめにする。

 

順風満帆に思えたが、79年になって事件は起こる。

 

「来日した際のパスポートが台湾でなくインドネシアのものであったために、国外退去処分を受けたんです。72年の日中国交正常化で、日本は台湾とは断絶してしまっていたので、当時は台湾パスポートで入国するのは手続きが大変だったそうです。

半ば当たり前にように行われていたことだったそうですが、有名になって目をつけられたんでしょうね」

 

台湾で広告塔、中国では発禁

台湾では政府への協力を条件に不起訴処分となり、中華民国軍の広告塔として活動することに。

「ちょうどその頃 、中国でも彼女がカバーした『何日君再来』が大ヒット 。『昼は訒小平の話を聞き、夜は訒麗君の歌を聴く』とまで言われていたといいます。しかし、中国共産党は83年頃、台湾の広告塔である彼女の歌を『退廃的だ』と発禁処分にしてしまいます」

 

そんな彼女が再び来日するのが84年。

「つぐない」で再デビューすると、有線放送チャートで年間1位となる大ヒットとなり、「愛人」(85年)、「時の流れに身をまかせ」(86年)と立て続けにヒットを飛ばす。

当時、改革開放路線を進める中国は、86年、テレサ・テンの歌をようやく解禁。

 

87年 、彼女は日本を離れ、香港へ移る。

 

そこで民主化コンサートなどに参加していた彼女だが、89年に天安門事件が起こる――。

 

「そうした政治活動が知られるようになったのは、95年に彼女が亡くなってからですね。台湾、中国では流行歌手としての人気はもちろんですが、中国共産党に批判的な中国人にとっては、自分たちの代弁者としての人気もあった。ですから余計に暗殺説など憶測を呼んだのです」

 

 

台湾でも中国人観光客の爆買い

42歳 の若さでタイで客死した95年、母国・台湾で営まれた葬儀には、台湾だけでなく世界各国から3万人を超えるファンが駆けつけた。

 

遺体は、生前の姿が50年は保たれるというエンバーミングが施され、棺は中華民国の国旗と国民党の党旗で覆われる公葬(国葬に準ずる)の扱いだった。

 

当然、その直後には台湾にテレサ・テン記念館が出来てよさそうなものだが、常設の記念館が設立されたのは2009年 という。

 

「2008年5月に台湾政府は独立派の民進党政権から、親中色の強い国民党の馬英九政権 に移ります。その2カ月後には中国は台湾への団体旅行を解禁 したんです。すると中国からの観光客が台湾に押し寄せるようになったんです。

そこで09年に高雄に試験的に作られたのが『テレサ・テン記念館(訒麗君紀念文物館)』でした。1日に20団体、600人 もの観光客が訪れる盛況ぶりだったのですが……」

 

 

この年の夏、高雄を中心とする台湾南部は台風8号により多大な被害を受けた。

そこで民進党の重鎮でもある高雄市長が、チベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世に被災地への慰問を要請。

 

快く引き受けたダライ・ラマだったが、これに中国が猛反発する。

 

「高雄市のホテルは9月に入って、中国人観光客から3000室分ものキャンセルが相次ぎました。中国からの独立を掲げるチベットの中心こそ、ダライ・ラマです。中国政府が人民に高雄へは行くなと命じたのでしょう。昨年(2017年)は韓国に米軍のミサイルが設置されたことで中国は“禁韓令”を出しましたよね。

中国にとって海外に行っては爆買いする人民は武器でもあり、相手国が何か起こせば旅行会社に圧力をかけて出国の規制をかけますからね。この時は、駐日中国大使から台湾担当となった王毅が、10年1月に高雄市の代表団と会見して解禁を解いた。そこでようやく10年4月に本格オープンしたのが『テレサ・テン記念館』です。

台湾人にも彼女のファンはいますが、実は多くは『嫌いでもなければ好きでもない』という人が多い。政府寄り、特に国民党の広告塔というイメージもあるのかもしれません。結局、記念館を支えていたのは実は、中国人観光客だったんです」

 

 

高雄市の愛河という川沿いの240坪もの倉庫を改装して作られた記念館には、彼女が使用したステージ衣装や愛車のベンツ、生活に使った食器など様々なものが展示 され中国はむろん、日本からもファンが押しかけていたという。

 

しかし、彼女の人生同様、遺品もまた、台湾の中国の狭間で翻弄されることに――。

 

 

テレサの遺品はゴミ扱いに

「高雄の『テレサ・テン記念館』は15年9月に閉館してしまいます。建物の老朽化が原因とも、契約が切れたとも言われています。この翌月から台北で没後20年の記念展が開催されたので、そちらにも展示物が貸し出されていたようなんですけどね。

しかし16年1月まで開催された記念展が終わっても、なかなか再開されませんでした」

 

 

16年5月、台湾政府は国民党政権から、再び民進党政権に戻る のだ。

 

「民進党政権が発足して1年で、台湾を訪れる中国人観光客は激減します。人口2300万人の台湾ですが、例えば14年には年間400万人もの中国人が訪れていました。それが民進党になって1年で145万人に。観光収益は2600億円減少したと言われています。

もちろん、台湾人も中国人のマナーの悪さから彼らを歓迎していないということもあるのですが、中国人目当てのところは辛いですからね」

 

 

昨年7月、「テレサ・テン記念館」は「テレサ・テン音楽館」と改め、高雄市内の通称バナナ埠頭と呼ばれる港のそばにあるバナナ博物館『香蕉故事館』の中に移設された。

 

もっとも、半年も持たずに閉鎖。その建物内に歌姫の展示物が放置されているというのだ。

「『香蕉故事館』の傍らに、彼女の胸像やポスター、壷などが転がっていますよ、まるでゴミのように」

 

なぜ分かるかといえば、勝手に入ることができるから。

 

「今は看板すら掲げられていないので、彼女の遺品が置いてあったことも知る人はいませんけど、勝手に入れるんですよ。さすがに貴重な物は、他に移してあるそうなんですが、それにしても天下のテレサ・テンですからね。ちょっと寂しい気がします」

 

現在、高雄の民間団体がテレサ・テン記念館の復活を市に働きかけているという。

 

「テレサ・テンのお兄さんも『数ヶ月後には再開』とおっしゃっているのですが、具体的にどこで再開するかは不明です。やはり中国人観光客の目処が立たないと難しいかもしれませんね」

 

 

泉下で彼女は泣いている?

 

 

 



-エンタメ, ゴシップ, 事件・事故, 海外, 話題
-, ,