【訃報】大杉漣さんが急性心不全で死去、66歳

 

俳優の大杉漣さんが21日、急性心不全亡くなったことが分かった。

所属事務所が発表した。

66歳だった。

 

 

事務所のホームページによると、大杉さんは午前3時53分に亡くなったという。

葬儀は本人や家族の意向により親族のみで執り行うという。

また、お別れの会は詳細が決まり次第発表するとしている。

 

18日には自身のブログ「大杉漣の風トラ便り」に、愛猫の写真と共に

「こんな顔でぼくを見ます ご飯にして欲しいのだと思います」

などと書き込んでいた。

 

 

下積時代

1980年に新東宝映画のピンク映画『緊縛いけにえ』で映画俳優としてデビュー。

日活ロマンポルノや新東宝映画などのピンク映画に積極的に出演するようになった。

 

1983年、滝田洋二郎監督の『連続暴姦』では演技力が評価され、同年の「ZOOM-UP映画祭」・ピンクリボン賞主演男優賞を受賞した。


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また、翌1984年、周防正行監督の小津映画リスペクト作品『変態家族 兄貴の嫁さん』では、当時33歳の大杉が60歳超の老人役を演じ、静けさの中にも狂気をたたえた演技や風かおるとの独特の掛合いなどが評価された。

その後も多数のピンク映画に出演したが、1988年の片岡修二監督の『地下鉄連続レイプ・愛人狩り』を最後にピンク映画への出演を控え、転形劇場における活動に専念した。

しかし、転形劇場は1988年に解散。

大杉は37歳で活動基盤を失ったが、宮沢章夫作品や太田省吾作品への出演、岩松了作品における竹中直人とのコラボレーションなど、演劇界で活動を続けた。

 

 

俳優としての転機

1989年以降、再び映画界への進出を望んだが、希望する役を射止めることはできず、Vシネマなどに多数出演して収入を確保する生活が続いた。

40歳代に入り、種々のステップアップを図る一環として北野武監督による『ソナチネ』(1993年)のオーディションを受け、遅刻したにも関わらず合格。

この作品での演技が転機となり、映画界において演技派の一人として知名度を得ていく。

1997年には、SABU監督の『ポストマン・ブルース』でおおさか映画祭・報知映画賞を受賞。1998年-1999年にかけては、北野武監督の『HANA-BI』や、大谷健太郎監督の『アベックモンマリ』、崔洋一監督の『犬、走る DOG RACE』などにおいて実力を発揮し、1999年度の国内各映画賞の助演男優賞を多数受賞して、映画以外にもテレビドラマへの主役・主要キャストとしての出演が増加すると、その名は広く一般に認知されるようになった。

 

 

好きな俳優のお一人でした。

 

ご冥福をお祈りいたします。

 


 

 

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