「2歳までしか生きられない」医学の常識を覆した両親の誓い

 

わが子に重い病気や障害が降りかかった時、両親がその苦痛を受容するためには、いったん絶望の底まで落ちなければいけないのかもしれません。

 

14年前に凌雅君は生まれました。

お姉ちゃんに続く待望の男の子でした。

その凌雅君に生後2か月ごろから異変が起きました。

健診を受けた際に、視線がおかしいと、医師に指摘されたのです。また授乳の時には、頭をのけぞらせてしまいます。

飲みながらヒューヒューとのどから音を立て、授乳が終わると、のどがゴロゴロしました。

 

この時期、気管支炎の診断で2回ほど入院を経験しましたが、症状は退院後も続きました。

生後5か月になり、凌雅君はこども病院の眼科を受診しました。

 

眼科医は診察するなり、

「これは斜視ではない、脳の病気だ」と言いました。

脳のX線CTを撮影すると、脳に萎縮が見られました。

眼科の先生は、凌雅君を神経科に回しました。この時に母親は、

「自分の子どもは障害児として生きていくのだ」

と覚悟したそうです。

 

ただ、それは決して絶望的な気持ちではなく、これまでの経緯を考え、「やはりそうだったのか」と納得した思いでした。

 

ところが神経科を受診してみると、医師はすぐに、神経の病気ではないと言いました。

「おそらく先天性代謝異常でしょう」という説明と共に、今度は代謝科に回され、検査入院となりました。

代謝科の主治医は日本でも屈指の専門家でした。

 

地獄の底に落ちたような…ネットで見た恐ろしい言葉

凌雅君は「ゴーシェ病・急性神経型」という先天性の難病でした。

体内の糖脂質を分解する酵素を生まれつき欠いているために、糖脂質が脳や肝臓や骨に蓄積してしまう病気です。

蓄積した糖脂質は脳に強いダメージを与えます。

主治医は病名を告げ、2週ごとに点滴で酵素を補えば、病状はある程度抑えられると言いました。ただ、将来的な見通しについては、詳しい説明がありませんでした。

 

診断された日、両親はインターネットでゴーシェ病・急性神経型について調べました。

そこには恐ろしい言葉がありました。

生命予後は2歳まで。つまり、2歳までしか生きられないというのです。

その文章に行き当たったとき、夫婦は地獄の底に落ちたような心境に追い込まれました。

 

母親は思いました。

「この子が障害児として生きていくのであれば、育てていく覚悟を持つことができる。だけど2歳までの命なんて耐えられない」

「2歳までの寿命ならば、あと残り1年ちょっとではないか? この子は何のために生まれてきたのか? 早く死ぬために生まれてきたのだろうか?」

 

人工呼吸器を付け自宅へ

生後8か月になると病状が進みました。

喉頭けいれんという発作によって、のどが絞まり、息ができなくなってしまったのです。

緊急処置によって事なきを得ましたが、喉頭けいれんは、その後も続きました。

両親は医師団に「気管切開をしてください」とお願いしました。

手術によって、のどに気管カニューレが挿入され、酸素が送られることで状態は落ち着きました。

 

ところが、それもつかの間でした。

1歳6か月の時、凌雅君は、呼吸そのものをしなくなってしまったのです。人工呼吸器が取り付けられました。

それでも両親は、病院に凌雅君を置いておこうとはまったく思わず、「在宅で呼吸器を付けてケアをしていこう」と決心しました。

 

リハビリをやっても何も変わらない…

呼吸は楽になりましたが、今までできていたことが、できなくなっていきます。

お座りもハイハイもできないのです。

1歳9か月の凌雅君はベッドに横たわるだけでした。

母親は苦しみました。

「なぜ、自分たちだけがこんな目に遭わなければいけないのだろうか? その理由は何なのか?」

何度自分の心に問いかけても、答えは見つかりませんでした。

 

年賀状で、知り合いの子どもたちの成長の姿を目にすると、妬ましささえ感じました。

主治医の勧めで、リハビリを続けました。

少しでも、お座りや寝返りができるようになるため、また病気の進行を抑えるためにです。

母親は、凌雅君を連れ、最後の望みをかけてリハビリに通いました。

しかし、2歳になった頃、母はある種の諦めを感じました。リハビリをやっても何も変わらない。

 

期待しただけに失望感は大きく、涙の一滴(ひとしずく)さえ出ませんでした。

そして、この辛(つら)い経験が、母親がわが子の障害を受容していく長い道のりの始まりでした。

失意のどん底に落ちたとあとは、這(は)い上がるしかありません。

日本に20人もいない難病である「ゴーシェ病・急性神経型」に 罹(かか)った凌雅君は、生後1歳6か月で人工呼吸器を付け、自宅へ帰りました。

2歳になってもリハビリで何の効果も出ず、両親は失意のどん底にありました。

 

その時、ある情報に接します。

 

骨髄移植に希望を託したが…

ゴーシェ病の家族の集まりで勉強会に参加し、そこでゴーシェ病には骨髄移植という治療法があると知りました。

ゴーシェ病は、体のすべての細胞で、糖脂質を分解する酵素を作ることができません。

しかし、他人から骨髄の移植を受ければ、骨髄細胞は無限に増えていき、それらが酵素を作ってくれるというわけです。

 

両親は骨髄移植について主治医に相談しました。

移植を成功させるためには、骨髄の提供者と凌雅君の白血球の型が一致していなければなりません。

その可能性が最も高いのは凌雅君の姉です。

その確率は4分の1です。

もし姉との型が不一致であれば、骨髄バンクから探さなければならなくなります。その確率は、数万から数百万分の一に下がります。

病院で姉の白血球の型を調べて見ると、幸運にも凌雅君と一致していました。

両親は思いました。

「これは神様が移植しろと言っているに違いない」。

特に父親は、「ついに病気が治る時が来た」とさえ思いました。

 

しかし、主治医は、骨髄移植を行うことに対し、首を縦に振りませんでした。

移植をする前には、大量の抗がん剤投与と、全身への放射線の照射をし、骨髄細胞を全滅させることで、骨髄を空(から)にする必要があるのです。

それは、場合によっては感染症で命を失いかねないことを意味します。

また、移植が成功して酵素の補充療法が不要になったとしても、すでに重い障害がある脳は元には戻らないのです。

気管切開も、呼吸器のケアを自宅ですることも、両親が医師にお願いして実現させたことです。

骨髄移植についても、危険を伴うのは覚悟の上でした。

ゴーシェ病という恐ろしい病気と対決するために必要だと考え、希望を医師に伝えたのです。しかし今度は、医師から説得される形で骨髄移植を断念しました。

 

一縷(いちる)の望みが、絶たれました。

 

4人部屋での出会い…亡くなっていった子どもたちの顔を思い浮かべ

治らない病気。

 

そのことを父親は、心の底から痛感させられました。

リハビリでも良くならない。治療法もない。

両親は完全に諦めざるを得ませんでした。

しかし、それは自暴自棄になるということではありませんでした。

凌雅君の姉は幼稚園に入ったばかりです。姉をしっかりと育てていくという現実的な目標が両親にはありました。

また、凌雅君のケアもやっていかなければなりません。

居直るような気持ちにはなれませんでした。

母親は、凌雅君が生まれてきた意味を、何度も心に問いました。答えが見つからないうちに、やがて自分たち家族は孤独ではないことに気付きます。

凌雅君は体調を崩すと、こども病院の4人部屋に入院しました。

同じ病室には、3人の重症児が入院していました。

母親たちは、明るく逞(たくま)しく、力強く生きていました。子どもたちは、やがて次々に命を落とします。

凌雅君の母親は、そのたびに葬儀に足を運び、「子どもが死ぬなんてあってはならない」と思いました。

子を失った母親が声をかけてきました。

「うちの子の分まで、凌雅君をかわいがってね。応援しているよ」

凌雅君の母親は、「絶対に生き抜こう」と思いました。

自分たちが母親たちからもらった勇気を、次に入院して来る子どもたちに伝えなくてはならない。

命の松明(たいまつ)をつなげることが、自分たち家族の役割であり、凌雅が生まれてきた意味なんだと。

凌雅君が2歳を過ぎた頃、両親は苦しみから解放されつつありました。

わが子の病気を受容したと言ってもいいのかもしれません。もちろん、完全に吹っ切れたわけではありません。

その後も、くり返し悲しみは襲ってきました。そういう時は、亡くなっていった子どもたちの顔を瞼(まぶた)の裏に思い浮かべ、その子たちの分まで精一杯生きようと心に誓いました。

凌雅君は現在、中学3年生になっています。

短命とされる難病と闘った彼と両親は、医学の常識を覆したのです。

 

 

 

 

松永正訓(まつなが・ただし)

1961年、東京都生まれ。

87年、千葉大学医学部を卒業、小児外科医になる。99年に千葉大小児外科講師に就き、日本小児肝がんスタディーグループのスタディーコーディネーターも務めた。

国際小児がん学会のBest Poster Prizeなど受賞歴多数。2006年より、「 松永クリニック小児科・小児外科 」院長。

『運命の子 トリソミー  短命という定めの男の子を授かった家族の物語』にて13年、第20回小学館ノンフィクション大賞を受賞。著書に『小児がん外科医 君たちが教えてくれたこと』(中公文庫)、『呼吸器の子』(現代書館)など。2017年11月、『子どもの病気 常識のウソ』(中公新書ラクレ)を出版。

 

 

 



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