〈殿堂入り〉阪神金本知憲監督と元巨人松井秀喜氏の意外なライバル関係

 

平成30年度の日本野球殿堂入りの発表が15日、東京ドーム併設の野球博物館で行われ、プレーヤーズ表彰で阪神現役監督の金本知憲氏(49)と松井秀喜氏(43)の2人が選出された。

プレーヤー表彰は、引退後、5年が経過した選手が候補者となるが、金本氏も松井氏もノミネート1年目で一発当選した。松井氏は43歳7か月での殿堂入りとなり野茂英雄氏の45歳4か月を抜いて最年少。

 

松井氏は、有効投票数368票中336票(91.3%)を獲得、これは史上10番目となる高い得票率であった。

一方、金本氏は、278票で殿堂入りの条件である75%の得票率に必要な当選数をわずかに2票だけを上回る75.5%での当選となった。

 

金本氏は1492試合の連続フルイニング出場の世界記録を持ち“鉄人”と評された。

同時にバットマンとしての戦績も素晴らしく通算2539安打、476本塁打、1521打点の成績を誇り、2000年には打率.315、30本塁打、30盗塁で史上7人目のトリプルスリーをマークしている。

だが、決して殿堂入りへの道のりは平坦なものではなかった。

 

この日、ゲストスピーカーに立ったのは、1991年に東北福祉大からドラフト4位で広島に入団した際の監督である山本浩二氏だった。

山本氏は、金本氏の成功理由を表すようなエピソードを披露した。

「キャンプでバッティング、守備を見て相当時間がかかるなと」

だが宮崎の都城で行われたオープン戦の初戦で金本氏は山本氏の評価を一転させる。

代打でチャンスをもらうと、簡単に2ストライクに追い込まれてからファウルで粘り四球を選んだという。

「何球粘ったか。粘りと精神的な強さを印象づけられた」

 

山本氏は、その日のスタッフミーティングで「重点強化選手にしよう」と提案した。

その四球に象徴されたのが金本氏の自己犠牲の精神だ。

 

金本氏は、殿堂入りの理由のひとつに、カル・リプケンを抜いた連続フルイニング出場の世界記録があったのでは?と聞かれ、

「フルイニングを目指して記録を作ろうとしてやってきたわけではない。日々、毎日試合に出なくてはいけない。数字を残さなくてはいけない、休んではいけない。その連続、結果がたまたま記録になっただけ」

と答えた。

 

阪神時代に死球を受けて腕を骨折。翌日に片手で打ったヒットは語りつがれる伝説の打席だが、試合に出続けた理由について「その時の責任感。チームのために試合を抜けられない思い」とも言った。

 

そして記憶に残るシーンとして真っ先に連続無併殺記録を挙げた。

「タイ記録と新記録の時、なぜか一塁にランナーがいましてね。ランナーがいなかったら自動的に更新するんですけど。そこでヒットとホームランが打てた。笑い話のような自慢のような」

 

2000年5月12日から2001年9月28日まで続けた1002打席の連続無併殺記録こそが金本氏の野球人生を凝縮した記録である。

 

「打率が下がる局面でも全力疾走した証。これがなによりのチームのためのプレー。足の調子が悪いときでも全力で走った。これは、今の選手にも言えること。チームのためにやることを」

そうメッセージを発した。

 

そして意外にも金本氏が目標にしていたのは6つ年下となる松井秀喜氏だったという。

「松井のスイングの速さが目標だった。松井の顔を思い浮かべながらスイングをしたこともあった」

 

仕事の関係で来日できなかった松井秀喜は、この日、メッセージで長嶋茂雄・巨人終身名誉監督の自宅の地下室で、試合前のロッカーで二人三脚でバットを振り続けた日々を、こう振り返った。

 

「来る日も来る日も、私のスイングをチェックして下さり、その日々が、打者としての、また野球選手としての大きな礎になりました。『打撃は生き物だから、日々バットを振って、自分自身と向き合い、常に最高の状態にしておかなくてはいけない』長嶋監督からのその教えを胸に、選手生活を引退するまでの日々を送りました」

また長嶋氏も祝福のメッセージの中で、

「私の前で、何千、何万、何十万とスイングしたのでしょうが、松井君は一振りたりとも手を抜きませんでした」

と明らかにしたが、金本も、また、この師弟コンビに負けないくらいのバットスイングを繰り返していた。

 

FAで阪神へ移籍後、金本氏が甲子園での試合後にウエイトトレーニングをしてから帰る習慣がチーム内に広がり、内部から意識革命を行うことになった。

 

そのとき、金本氏は必ずバットスイングもしていたのである。

「僕が広島の場外に打つと松井も場外に打った。僕が看板に当てたら、松井も当てた。そこは僕が先だから」

 

知られざるライバル物語が、原動力だったのである。

山本氏が、入団時の金本氏を見て「時間がかかる」と語ったように、実際、金本氏が開花したのは、故・三村敏之監督にバトンが渡ってからだった。

 

「規定打席に達したのが(入団4年目の)27歳。かなり遅い。だから、今燻っている若い選手に、いつも言う。『おれだって27歳からだよ。(自分を)見捨てずに鍛えたらチャンスはある』と」

 

人知れぬ努力と自己犠牲の精神、“ゴジラ”という好敵手を得て、殿堂にまで上り詰めた監督だからこそ、その若手への訓話に説得力がある。

そして今、金本氏は、自らの野球人生をこれからのタイガースの未来に重ねるのだ。

 

「まだまだレベルの高い競争とは言えない。レギュラーが決まっていないところでの競争だからね。誰がレギュラーになってもおかしくないというハイレベルな競争にしたい。そう選手が思ってくれないとダメですけどね」

 

金本氏は阪神の監督として3年目を迎える。

現役監督の殿堂入りは7人目である。

 

実績も経験も大先輩となる原辰徳氏と山本氏からはシーズンの戦いに向けての激励を受けた。

「まだまだ厳しいと思うが、チャンスは十分にあるんだから。育てるむずかしさを感じているんだろ?」

 

山本氏にそう聞かれ「僕も痛感しています。想像以上です」と答えたという。

 

金本氏は、晴れの殿堂入りの舞台で、こう宣言した。

「監督就任して3年目。もちろん結果は欲しい。内容も欲しい。両方を追い求め(監督)就任当初の志を強く持ったまま、ブレずに強いチームを作って優勝したいと思う」

 

ちなみに、金本氏が阪神時代の記憶に残るシーンとして挙げたのが、2003年の福岡ダイエーホークスとの日本シリーズの第4戦の延長10回に放ったサヨナラホームランだった。

「甲子園球場が一番沸いたというか、あの日が一番、拍手喝采を浴びた日じゃないかなと思う」

 

次に甲子園で拍手喝采を浴びるのは監督として胴上げされる日でありたい。

 

最後に。

金本氏は、エキスパート部門で殿堂入りした原辰徳氏と、昨年度に殿堂入りして、この4日に帰らぬ人となった星野仙一氏のレリーフの前で記念写真を撮影した。

 

「選ばれましたよ、と報告したかった。残念です。(もし健在なら)70歳で、だいぶ丸くなられていたので優しい言葉をかけていただけたと思います」

と故人を偲んだ。

 

良きライバルであり親友でもあった山本氏も

「本来なら星野仙一がここでスピーチをすべきでなかったかと。本当に辛い最近なんですが、金本は星野のその意志を持って、阪神の監督として今年も当然がんばってくれる、優勝争いをしてくれると思う」

とメッセージを残した。

 

 



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