「闘将」星野仙一さん 死去

 

楽天の球団副会長を務める星野仙一さんが、1月4日に亡くなったと、スポーツニッポンなどが伝えている。

70歳だった。

同紙によると、星野さんはがん闘病中だった。

昨年10月のドラフト会議、11月28日に東京で、12月1日に大阪で行われた「野球殿堂入りを祝う会」などで病気を感じさせない元気な姿を見せていたが、昨年末に体調が悪化、年末年始に行く予定だったハワイへの家族旅行を取りやめていたという。

星野さんは1947年、岡山県生まれ。現役時代は中日一筋、実働14年間で146勝を挙げたほか、現役引退後は中日、阪神、楽天で監督を歴任。中日では2度のリーグ優勝、阪神では18年ぶりのリーグ優勝、楽天では初の日本一に輝いたほか、2008年には北京オリンピック野球日本代表の監督も務めた。

また、星野さんは以前より「阪神と楽天で日本シリーズ」が“夢”と語り、2017年シーズンは阪神、楽天ともに序盤から好調だったことから期待も膨らんだが、最終的には両チームとも優勝ならず。

 

“夢”は叶わなかった。

あまりに急な別れに、Twitterなどネットでは

「ちょっと受け入れられない…」

「70歳なんて若すぎるよ…」

「嘘でしょ?えっ…いや…えっ…?」

「すごくショックだ」

「突然で信じがたい」

「今の阪神があるのは星野仙一のおかげ 感謝しかない」

「楽天に夢をくれた人。本当にありがとう」

「もっと楽天のために力が必要だった…」

 

などの声が広がっている。

 

 

12月1日には大阪で「野球殿堂入りを祝う会」に出席。

2000人を超えるプロ、アマの球界関係者が集まり

「これだけの人が来てくれて野球をやってて良かった。野球と恋愛して良かった。もっともっと恋したい」

と失われない野球への情熱を口にした。

 

しかし、これが、最後の晴れ舞台となった。

 

相手が強ければ強いほど、「燃える男」。



現役時代のキャッチフレーズだった。

その原動力が「打倒・巨人」。

ドラフトでふられ、憧れの球団は「生涯のライバル」に変わった。

中日のエースとして闘争心をむき出しにして投げ、巨人戦は歴代6位タイの35勝で通算146勝を挙げた。

沢村賞を受賞した74年にはV10を阻止して優勝したが

「日本シリーズは邪魔。俺は巨人を倒したからいいんだ」

と言い切ったほど、巨人を倒すことに執念を燃やした。

 

「強い巨人に勝ちたいんや」。

その思いは引退後も変わることはなかった。

監督時代は「闘将」と呼ばれ、代名詞は鉄拳制裁だった。

「非情と愛情の2つを併せ持つことが大事」という持論を持ち、闘う集団につくり上げた。

中日で2度のリーグ優勝。

97年には扶沙子夫人(享年51)を白血病で亡くしたが、グラウンドで戦い続けた。

「俺は弱いチームを強くすることが好きなんだ。それが、男のロマンやないか」

 

反骨心の塊のような男。

02年に低迷していた阪神の指揮を執り、翌03年に18年ぶりのリーグ優勝に導く。

楽天監督時代の13年には日本シリーズで宿敵の巨人を破り、4度目の挑戦で初めて日本一監督となった。

14年にユニホームを脱ぎ、15年に球団副会長に就任。

 

ONとともに球界への影響力は大きく、星野氏も

「野球への恩返しの意味でも自分の思いや考えを若い人につないでいきたい」

と語り、野球の普及活動に尽力していた。恋に恋した野球。

 

しかし、楽しみにしていた20年東京五輪を前に帰らぬ人となった。

あの笑顔はもう見れない。

あの怒鳴り声ももう聞けない。

 

う~ん・・・ご冥福をお祈りいたします。

 

 

 

 

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